御ちそうをする。一スーを憎しみ、流行を競い、悲劇を賞賛し、婦人を軽蔑し、古靴をすりへらし、パリーを介してロンドンのふうをまね、ポン・タ・ムーソンを介してパリーのふうをまね、年を取るとともに愚かになり、何の仕事もせず、何の役にも立たず、また大した害にもならないのである。
 フェリックス・トロミエス君も、田舎にいてパリーを知らなかったなら、この種の人間になったことであろう。
 もし彼らがいくらか金持ちであれば、しゃれ者と言われ、もしいくらか貧乏であれば、なまけ者と言われるところである。がみな単に閑人《ひまじん》である。それらの閑人のうちには、厄介者もあり、退屈してる者もあり、夢想家もいれば、変わった男もいる。
 その頃、しゃれ者といえば、高いカラーをつけ、大きなえり飾りをつけ、金ぴかの時計を持ち、色の違った三枚のチョッキを青や赤を下にして重ねて着、胴が短く後が魚の尾のようになってるオリーブ色の上衣をつけ、たくさん密に並んだ二列の銀ボタンを肩の所までつけ、ズボンはそれよりやや明るいオリーブ色で、両方の縫い目には幾つかの筋飾りをつけていて、その数は一から十一までの間できまってなかったが、必ず奇数で、また十一を限度としたものだった。それに加うるに、踵に小さな鉄のついた半靴に、縁の狭い高帽、長い髪の毛、大きなステッキ、ポアティエもどきの洒落《しゃれ》を交じえた会話。とりわけ、拍車と口|髭《ひげ》。当時、口髭は市民のしるしであり、拍車は徒歩の人のしるしであった。
 田舎のしゃれ者は特に長い拍車をつけ、特に勢いよい口髭をのばしていた。
 それはちょうど、南米の諸共和国がスペイン国王と争っていた折で、ボリヴァル([#ここから割り注]訳者注 南米の将軍[#ここで割り注終わり])とモリロ([#ここから割り注]訳者注 スペインの将軍[#ここで割り注終わり])とが争闘していた頃だった。縁の狭い帽子を被ってるのは王党でモリロ派と称し、自由党の方は広い縁の帽子をかぶってボリヴァル派と称していた。
 さて前述の事件があってから八カ月か十カ月ばかり後、一八二三年の正月の初め、雪の降ったある晩、この種のしゃれ者の一人であり、閑人《ひまじん》の一人であり、モリロ派の帽をかぶってるので「正統派」と呼ばれている一人の男が、寒中の流行の一つである大きなマントに暖かく身を包んで、士官らの集まるカフェーの窓の前を
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