デカルトもそれを嘆いている。ところで、ダヴィッドが自分にあてられた手紙の届かないことについてベルギーの一新聞紙上で不平を言ったが、それは追放せられた者らを当時あざけっていた王党の新聞にとっては愉快なことだった。弑逆人[#「弑逆人」に傍点]といいもしくは投票者[#「投票者」に傍点]といい、敵[#「敵」に傍点]といいもしくは同盟者[#「同盟者」に傍点]といい、ナポレオン[#「ナポレオン」に傍点]といいもしくはブォナパルト[#「ブォナパルト」に傍点]ということは、二者の間を、深淵よりもなおはなはだしく距《へだ》てることだった。よく物のわかった人々は皆、「憲章の不朽なる作者」と称せられたルイ十八世によって革命時代は永久に閉じられてしまったと認めていた。ホン・ヌーフの土手には、アンリ四世の銅像がやがて据えらるることになっている台の上に、レディヴィヴ[#「レディヴィヴ」に傍点]・ス[#「ス」に傍点](甦《よみがえ》れる)という語が彫られていた。ピエー氏は王政を強固にせんがための集会をテレーズ街四番地に立てていた。右党の領袖《りょうしゅう》らは重大な問題のたびごとに言った、「バコーに書き送らなければならない。」カニュエル、オマオニー、ド・シャブドレーヌの三氏は、多少王弟の許しを得て、後に「海辺の陰謀」となったところのものの芽を作っていた。エパングル・ノアール一派もまたその方で陰謀をめぐらしていた。ドラヴェルドリーは、トロゴフと接するに至った。ある程度の自由主義の精神を持ってるドカーズ氏が勢力を有していた。シャトーブリアンは、襞付《ひだつ》きズボンをつけ、上靴をはき、その半白の髪にマドラス織りの帽をかぶり、鏡を見つめ、歯科医の道具のそろった鞄を前に置き、痛んでいる歯を自ら治療しながら、憲章による王政[#「憲章による王政」に傍点]の種々の異本の差異を秘書のピロルジュ氏に書き取らせつつ、サン・ドミニク街二十七番地の自分の家の窓ぎわに毎朝立っていた。重な批評はタルマよりもラフォンをほめていた。ド・フェレズ氏はAと署名し、ホフマン氏はZと署名していた。シャール・ノディエはテレーズ[#「テレーズ」に傍点]・オーベル[#「オーベル」に傍点]を書いていた。離婚は廃せられていた。リセーは皆コレージュと呼ばれていた。コレージュ(高等中学校)の生徒らはえりに金の百合《ゆり》の花をつけ、ローマの王([#
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