ぎなことには、そのきえうせた汽車からおりてきた火夫《かふ》だけが、こちらからいく火夫《かふ》の方へ、同じような足どりで歩いてきます。
私はおりていこうとしました。がもうその時、両方《りょうほう》の火夫《かふ》は線路《せんろ》の上でであっていました。立どまって、何か話してるようでした。すると、こちらの火夫《かふ》が、いきなり向《むこ》うの男になぐりかかりました。とたんに、向《むこ》うの男の姿《すがた》がきえて、火夫《かふ》は足もとに、なにかへんなものをおさえつけています。
私はいきなり、助手《じょしゅ》やほかの火夫《かふ》といっしょに、機関車《きかんしゃ》からとびだして、かけつけていきました。みると、火夫《かふ》は大きな獣《けだもの》を力一|杯《ぱい》におさえつけています。それは、年とった一ぴきの大きな狸《たぬき》でした。
それでやっとわけが分りました。その狸《たぬき》め、汽車にばけて、こちらの汽車のとおりに進《すす》んできたところが、こちらがとまったので、向《むこ》うでもとまって、それから火夫《かふ》がおりて行くと、汽車の方を忘《わす》れてしまって、火夫《かふ》だけにばけて、つかまってしまったんです。私たちははじめ腹《はら》をたてましたが、次《つぎ》にはおかしくなりました。そして狸《たぬき》にいいきかしてやりました。
「ばかだな、お前は……。ばけるものにことをかいて、汽車にばけるとはなんということだ。もし衝突《しょうとつ》でもしたら、お前はこなみじんになってしまうぞ。これから、もっと気のきいたものに、危《あぶな》くない者にばけるようにしろよ」
そして、食《た》べ残《のこ》しの牛肉のきれをやって、はなしてやりました。狸《たぬき》は肉をもらって、頭《あたま》をぴょこぴょこさげながら、藪《やぶ》の中へはいっていきました。私たちはその後姿《うしろすがた》をみおくって、大|笑《わら》いをしながら、後《おく》らした時間《じかん》をとりかえすために、汽車を全速力《ぜんそくりょく》で走らせました。
まったく、ばかな狸《たぬき》です。汽車にばけるなんて、よくそんな危《あぶな》っかしいことができたものです。むてっぽうにも程《ほど》がありますよ。
底本:「天狗笑い」晶文社
1978(昭和53)年4月15日発行
入力:田中敬三
校正:川山隆
2006年12月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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