は、憎悪と、愛情と、両極端がある。どうしてそうなんだろう。自分が異国人である故からであろうか。
そんなことを聞きながら、俺の方では、憎悪と愛情との流転変質のことを考えていた。憎悪にせよ愛情にせよ、それは恒常的なものではなくて、いつも一方から他方へと移り変り、相対的な人事関係によって、刻々に変化する。愛すればこそ憎むなどと言うのは、おめでたい限りで、憎めばこそ愛すると逆に言ったら、どうなるか。
俺には、どぶろくだけが頼りだった。
「異国人の中にあっての憂愁だね。僕には、同国人の中にあっての憂愁が、いつもあるよ。」
「あんたとは別です。だから、憂愁があるなら、その憂愁を共にしましょう。」
「よかろう、共にしよう。」
「今夜は、飲み明かしましょう。わたしのお別れの宴です。いくらでもある限り、飲んで下さい。」
酔眼ばかりでなく、酔った意識が、朦朧として、体も支えかねる心地だった。
ふと、眼を挙げて俺は、表の土間の方を見やった。そこは電燈も消えており、真暗で、その先方は戸締りがしてあるはずだ。
周さんも、俺の様子に気付いてか、表の方を見やったが、それだけで、ほかには何も感づかなかった。
だが確かに、表の街路に女の足音がして、二度ほど戸が軽く叩かれた。周さんの言葉にも拘らず、千代乃さんじゃないか。それとも俺の錯覚か。あとはまたしいんとなった。
二人は倦きもせず濁酒をあおり、精神は朦朧となりながら、ぽつりぽつり語った。
俺はまた表の方を見やった。それにつれて、周さんも見やったが、何も感づかなかった。
だが確かに、表の街路に女の足音がして、二度ほど戸が軽く叩かれた。千代乃さんじゃないか。それとも俺の錯覚か。あとはしいんとなった。
なんとしたことか、周さんは卓子に顔を伏せて泣いていた。
底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「群像」
1952(昭和27)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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