例の空地《あきち》の所まで行かれましても、誰も出て来ませんでした。
あたりはしいんとして、高い木の梢《こずえ》から月の光りが滴《したた》り落ちているきりでした。お城の中の賑《にぎ》やかな騒ぎが、遠くかすかにどよめいていました。
王子は長い間待っていられました。眼に涙をためて、「千草姫《ちぐさひめ》、私です!」とも叫ばれました。けれども姫も森の精も姿さえ見せませんでした。
とうとう王子は涙を拭《ふ》きながら、思い諦めて戻ってゆかれました。森の入口で待っていた老女が何かたずねても、王子はただ悲しそうに頭を振られるのみでした。
王子は考えられました。なぜ千草姫は出て来てくれないのであろう。悲しいことが起こると言われたがそれはどんなことだろう。姫は亡くなられたお母様のような気がするが、ほんとにそうだろうか。なぜ私に何にも教えてはくれないのかしら。
そのうちに、悲しいことというのが実際に起こって来ました。城下のある金持が、白樫《しらがし》の森の木をすっかり切り倒して材木にし、その跡を畑にしてしまうというのです。城下にはだんだん人がふえてきまして、新たに家を建てる材木がたくさんいりますし、五穀《ごこく》を作る田畑もたくさんいるようになったのです。誰も反対する者がなかったので、王様も金持の願いを許されました。
王子はそれを聞かれて非常にびっくりされ、いろいろ王様に願われましたが、もう許してしまったことだからといって、王様は聞き入れられませんでした。
王子は悲しくて悲しくて、毎日ふさいでばかりいられました。けれどもそんなことには頓着《とんちゃく》なく、白樫の森は一日一日と無くなってゆきました。
ただ不思議なことには、森の大きな木が切り倒される度《たび》に、いろんな声がどこからともなく響きました。――鳥、鳥、赤い色――鳥、鳥、青い色――鳥、鳥、紫――鳥、鳥、緑色――鳥、鳥、白い色……そしてその度ごとに、赤や青や紫や白や黒や黄やその他いろんな色の鳥が、森から飛んで逃げました。王子は森の側に立って、鳥の飛んでゆく方を悲しそうに眺められました。
けれども、きこり共にはそれらの声が少しも聞こえませんでしたし、また彼等は、いろんな色の鳥を見ても別に怪しみもしませんでした。森の木はずんずんなくなってゆきました。
いよいよ、森の奥の空地《あきち》の近くまで木がなくなった時、王子はもうじっとしていることが出来なくなられました。その日の晩は、ちょうど満月で、いつもより月の光りが美しく輝いていました。
王子は一人で、お城の裏門の所まで忍び寄られましたが、門は堅く閉め切ってありました。王子は、口惜《くや》し涙にくれて、誰か門を開いてくれるまでは、夜通しでもそこを動くまいと、強い決心をなされました。
その時、不思議にも、門の戸がすうっと独《ひと》りでに開きました。王子は夢のような心地《ここち》で、そこから飛び出してゆかれました。
四
木が無くなった森の跡は、ちょうど墓場《はかば》のようでした。大きな木の切株《きりかぶ》は、石塔《せきとう》のように見えました。王子はその中を飛んでゆかれました。まだ木立《こだち》が残ってる奥の方の空地の所まで来て、王子はほっと立ち止まられました。見るとそこには誰もいませんでした。「千草姫《ちぐさひめ》!」と王子は叫ばれました。何の答えもありませんでした。
しばらくすると、王子のすぐ側でやさしい声が響きました。
「王子様!」
王子はびっくりされて、今まで垂れていた頭を上げて見られると、そこに千草姫《ちぐさひめ》が立っていました。王子はいきなり姫にすがりつかれました。
「よく来て下さいました。とうとうお別れの時が参《まい》りました」と姫は言いました。
王子は嬉しいやら悲しいやらで、口も利《き》けないほどでありましたが、しばらくすると、いろいろなことを一緒に言ってしまわれました。
「なぜお別れしなければならないのですか。なぜ私をちっとも迎えに来て下さらなかったのですか。お月見の晩にここに来ましたのに、なぜ逢って下さらなかったのですか。あなたは亡くなられたお母様ではありませんか。言って下さい。私に聞かして下さい。私はもう側を離れません。お城の中にも帰りません」
千草姫は何とも答えませんでした。そして王子の手を取ったまま、芝生《しばふ》の上に坐りました。
「私はあなたのお母様ではありません。けれど私を母のように思われるのは、悪いことではありません。私達は、あらゆるものを生み出す大地の精なのですから。ただ悲しいことには、いつかは私達の住む場所がなくなってしまうような時が参《まい》るでしょう。私達は別にそれを怨《うら》めしくは思いませんが、このままで行きますと、かわいそうに、あなた方人間は一人ぽっちになってしまいますでしょう」
王子はその言葉を聞かれると、何故《なぜ》ともなく非常に淋しく悲しくなられました。そして二人は長い間黙ったまま、悲しい思いに沈んでいました。月がだんだん昇ってきて、ちょうど真上になりました。
その時、千草姫《ちぐさひめ》はふと頭を上げて月を見ました。「もうお別れする時が参《まい》りました。これを記念にさし上げますから、私と思って下さいまし」
そう言って、千草姫は片方の腕輪《うでわ》を外《はず》して王子に与えました。
その時、どこからともなくいろんな色の小鳥が出て来て、千草姫のまわりを飛び廻りました。王子はびっくりしてその小鳥を眺められました。
「これでお別れいたします」
そういう声がしましたので、王子はふり返って見られると、もう千草姫の姿は見えないで、そこにまっ黒な大きい鳥がいました。くちばしに千草姫の片方の腕輪をくわえて、羽は皆|百合《ゆり》の花びらの形をしていました。
その鳥は王子の方へ一つ頭を下げたかと思うと、もう翼を広げて飛び上がりました。王子は一生懸命にその尾《お》にすがりつかれますと、尾だけがぬけ落ちて王子の手に残りました。あたりの小鳥は悲しい声で鳴き立てましたが、もう森の精ではなくて鳥になっていますので、その意味は王子にわかりませんでした。
王子はぼんやり立っていられますと、どこからか矢車草《やぐるまそう》の花をつけた森の精が出て来まして、腕輪と黒い鳥の尾とを手にしていられる王子を、お城の中へ送り返してくれました。
その後、白樫《しらがし》の森はすっかり切り倒されて畑になり、城下には立派な町が出来ました。けれどもどうしたことか、月が毎晩|曇《くも》って少しも晴れませんでした。そして次のような唄が、城下の子供達の間にはやり出しました。
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お月様の中で、
尾《お》のない鳥が、
金の輪をくうわえて、
お、お、落ちますよ、
お、お、あぶないよ。
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月の光りが少しもさしませんので、国中の田畑の物はよく成長しませんでした。草木が大きくなるには露と月の光りとが大切なのです。国中は貧乏になり、人々は陰気《いんき》になりました。それで王様も非常に困られて、位《くらい》を王子に譲《ゆず》られました。
王子は、白樫《しらがし》の森の跡に、木を植えさして小さな森を作られ、その中に宮を建てて、千草姫《ちぐさひめ》からもらった腕輪と鳥の尾とを祭られました。それからは急に月が晴れ、五穀《ごこく》がよく実り、国中の者が喜び楽しみました。そして満月の度ごとに、お城の門をすっかり開いて城下の者も呼び入れ、月見の会が催《もよお》されました。
今でもその神社と森とは残っています。森の中にはいろんな色の小鳥がたくさん住んでいます。これは神社の前で小鳥の餌《え》を売ってる婆さんの話です。婆さんはその話をすると、いつもおしまいには小さな声で「お月様の唄」を歌ってきかせてくれます。
底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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