てはそれを歌う。日本海を歌い、エリモ岬を歌い、オホーツク海を歌い、ベーリング海峡を歌い、タスカローラ海溝の底にもぐってまで歌う。
 雨雲の垂れた寒い日、知らず識らず、浦安の泥海のほとりまで行って、心平さんは甞て叫んだ、「実際汝、アルノミ、海、」と。然し、海のみではなかった。

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黒燿石の微塵ノヨウニ。
キシム氷ノ黒イ。
海。
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 これに照応して、

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満満ミチル無数ノ零ノ。
黒ガラス。
天。
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 海の詩はなお今後も書かれることだろう。

      七

 漸く「富士山」に辿りついた。
 心平さんは富士山の詩人とも言われる。十数年来、富士山の詩を幾つも書き続けてきたからだ。今後も続くことだろう。
 ところが、心平さんは富士山そのものだけを歌ってるのではない。存在を超えた無限なもの、日本の屋根、民族精神の無量の糧、として歌っているのだ。そして殊に、前に引用しておいた文章が示す通り、もともと富士山などというものは天を背景にして存在するのだ。
 斯くて、富士山はもはや象徴である。現実の富士山の姿態などは問題でない。けれども、象徴は具象を離れては存在しない。心平さんの富士山はやはり美しい。その美しさが、平面的でなく、掘り下げられ深められてるのを見るべきである。
 これらの作品に於て、知性と感性との比重がどうなっているか。比重の差は多少ともある。その差の少いもの程、すぐれた作品となすべきであろう。
 なお、ここに私は「阿蘇山」の一篇を採録しておいた。いずれ阿蘇山にも取っ組んでみたいという、心平さんの言葉を記憶してるからである。然しこれはどうなることやら、今のところ保証の限りでない。

      八

 心平さんは、富士山の詩人であるよりも、より多く「蛙」の詩人である。そしてここに於て、最も独特である。
 心平さんが著した最初の印刷詩集は、たしか、蛙の詩を集めた「第百階級」だった筈だ。そして最近にも蛙の詩を書いている。つまり、最初から蛙を歌い続けておるし、なおいつまで続くか分らないのだ。
 第百階級とはよくも名づけたものである。この原始的動物を心平さんは掘り出し、大事に護り育ててきた。蛙を歌った詩歌の類は古今東西に散見されるが、心平さんのようにこれを愛育した例は、他にない。
 富士山が象徴であるように、心平さんにとっては、蛙も一種の象徴である。一種の、と言うのは、富士山の場合と少しく意味合が異るからだ。心平さんは先ず蛙を、あくまでも蛙として追求する。時によっては客観的にさえ追求する。追求してるうちに、しぜんと、他のものが付加されてゆく。何が付加されるか。それは、蛙自体の成長そのものだ。よそから、持って来られたものではない。蛙自体が成長して、やがて、人間と肩を並べる。蛙の本質的脱皮だ。蛙はあくまでも蛙だが、もはや昔日の蛙ではない。そこに、一つの世界が創造される。
 新たに創造されたこの世界で、蛙は独自の言語さえ持つ。この言語の日本語訳までが必要になる始末である。
 こういう蛙を歌った諸作品で、心平さんの豊潤な韻律は、鮮かなイメージを造形する。眼で読むよりは、耳で聴くがよい。心平さんが「蛙」の自作を朗読する時、聴者の脳裡には、その韻律の美しさにつれて、さまざまな形態がくっきりと浮び上ってくるし、妖しい情景が顕現されてくる。
 作者の呼吸と、作品の呼吸とが、ぴったり合っているのだ。
 そして、それらの蛙の或る者は、時に、心平さんと同じくヴァガボンドの風貌を帯びるし、時に、心平さんと同じく根元的な歓喜や悲哀におののくし、時に、心平さんと同じく地の一隅を睥睨して遙かな海を偲ぶし、時に、心平さんと同じく空の一角を凝視して天に憧れるのである。
 斯く言えば、言い過ぎであろうか。もし言い過ぎであるならば、心平さんと読者とにお詑びをしましょう。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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