部屋には花はないね」
教授の話を聴きながら、ジョヴァンニは蒼《あお》くなって答えた。
「いいえ、そんな匂いなどはしません。それはあなたの心の迷いです。匂いというものは、感覚的なものと精神的なものとを一緒にした一種の要素ですから、時どき、こういうふうにわれわれは欺《だま》されやすいのです。ある匂いのことを思い出すと、まったくそこにないものでも実際あるように思い誤まりやすいものですからね」
バグリオーニは言った。
「そうだ。しかし僕の想像は確実だから、そんな悪戯《いたずら》をすることはめったにない。もし僕が何かの匂いを思いうかべるとしても、僕の指にしみ込んでいる売薬の悪い匂いだろうよ。噂によると畏友ラッパチーニは、アラビヤの薬よりも更にいい匂いをもって、薬に味をつけるそうだ。美しい博学のベアトリーチェも、きっと父と同様に、乙女《おとめ》の息のようないい匂いのする薬を、患者にあたえることだろう。それを飲む者こそ災難だ」
ジョヴァンニの顔には、いろいろな感情の争いをかくすことが出来なかった。教授が、清く優しいラッパチーニの娘を指して言った言葉の調子が、彼の心に忌《いや》な感じをあたえた。
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