し、フィリーモンは彼をお忍《しの》びの殿様とか何とかいったような人と思ったわけではなく、寧ろどこかの非常な賢人で、お金やそのほか世間的な慾をすっかり捨てて、こんなきたないなりをして世の中を歩きまわって、至るところで、少しずつでも智慧を磨《みが》こうとしているのだと思ったのです。この想像の方がずっと当っているようでした。何故ならば、フィリーモンは目を上げてその人の顔を見た時、彼が一生かかって学ぼうとしても及ばないような深い考えが、その顔にあらわれていることが、一目《ひとめ》見て分る気がしたからです。
 ボーシスが夕飯の用意をしている間に、その旅人達は、フィリーモンと大変うちとけて話し合うようになりました。若い方の人は、本当に、とてもよくしゃべって、なかなか鋭い、気のきいたことをいうので、いいおじいさんはもう大笑いに笑いつづけて、お前さんは近頃にない面白い人だと言いました。
『ねえ、お若い方、』彼は、二人がだんだん親しくなると、そう言い出しました、『わしはお前さんの名を、どう呼んだらいいかな?』
『そうですねえ、僕は、ごらんの通り、すばしこいでしょう、』その旅人は答えました。『だから、僕をクイックシルヴァと呼んで下されば、かなりぴったりした名だと思います。』
『クイックシルヴァ? クイックシルヴァ?』とフィリーモンは繰り返して、もしかその若い人が彼をからかっているのではないかと思って、その顔をのぞき込みました。『それは随分おかしな名ですね! そして、そのお連れの方は? やっぱりそんな妙な名前ですかい?』
『それは雷に訊いてもらわないと分らない!』とクイックシルヴァは、謎のような顔をして答えました。『雷ほどの声をしていないと言えないんです。』
 これは、本気か冗談か知らないが、もしもフィリーモンがおそるおそる年上の旅人の顔を見て、いかにもなさけ深そうだということが分らなかったら、とても怖気《おじけ》づいてしまったことでしょう。しかし、こんな小屋の戸口の傍に坐ったこともないようなえらい人が、今ここに来て、ただの人間みたいにして坐っていられるのだということだけは、間違いなさそうでした。その見知らぬ人は、いかにもおごそかに、フィリーモンがいやでも心の奥底まで打明けて言ってしまわないではいられなくなるような風に口をききました。これは、人々が、彼等のいいことも悪いこともすっかり分ってくれて、しかもそれを少しも馬鹿にしないほどかしこい人に出あった時に、必ず感じる気持です。
 しかし、フィリーモンは、単純な、やさしい心の老人だったので、打明ける秘密とても、あまりありませんでした。それでも、彼は今までの生活について、随分しゃべりました。その長い年月の間、彼はこの家から、二十マイルと離れたこともないのでした。彼の妻ボーシスと彼とは、若い時分からずっと、この小さな家に住んで、正直に働いて食って、いつも貧乏でしたが、それでも満足していました。彼はボーシスがどんなにいいバタやチーズをこしらえるか、そして彼が庭につくる野菜物がどんなにおいしいかを話しました。それからまた、彼等夫婦はお互に深く愛し合っているので、死別《しにわかれ》はいやだから、一しょに暮らして来たように、一しょに死にたいというのが、二人の願いだと話しました。
 見知らぬ人はそれを聞いて、顔一杯に微笑しましたが、その表情はおごそかでありながら、またやさしいものでした。
『あなたはなかなかいいおじいさんだ、』と彼はフィリーモンに言いました、『そして、つれあいとしていいおばあさんをお持ちだ。あなた方の願いはかなえられていいと思う。』
 そして、フィリーモンには、ちょうどその時、夕焼雲が西の空から輝かしい光を発して、空が急にぱっと明るくなったような気がしました。
 ボーシスはやっと夕飯の支度が出来たので、戸口のところへ出て来て、どうも大変つまらないものしかお客様達に差上げられないけれどもと、ことわりを言いはじめました。
『もしもあなた方がおいでなさることが分っていたら、』とばあさんは言いました、『じいさんとわたしとは、なんにも食べないでも、もっといい夕飯を差上げるのでしたに。しかしわたしは、今日の牛乳は大方チーズをこしらえるのに使ってしまったし、残っていたパンも半分たべてしまったところでした。ほんとにまあ! 平常《ふだん》はなんとも思いませんが、こうしてお気の毒な旅の方《かた》が、立寄って来られた時ばかりは、貧乏が悲しくなりますわい。』
『万事うまく行きますよ。心配無用だ、おばあさん、』と年上の旅の人は、やさしく言いました。『本当に、心から、客を喜んで迎えれば、食べ物や飲み物に奇蹟が起って、どんな粗末なものでも、神の酒となり神の食物となり得《う》るのです。』
『それは喜んでお迎え申しますよ、』ボーシス
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