今宮はわらひながら「ナニお好だつてわるいとは申ません」「イヽヱ好では御座いませんがあなたこそ私みたやうな陰気なものは、おきらひで御座いませう」「なんの私は女のあらつぽいのは好きませんから……」「うそ仰り遊せ……しかし私は……私はあきらめてゐますから」不思議さうに糸子を見て「なにをあきらめなさつたんです」「なんでもようございますの」
(二)
腰元のお京と、御寵愛のポチをともにつれて、こんもり繁りし青葉の木蔭、運動がてら散歩せんとて、お庭にお出遊ばされし御前の、まだ五分間もたゝぬのに、早くもお居間におかへりありしのみならずあはたゞしくお召とはなにごとならんと、三太夫いそぎ御前にすゝみいでゝかしこまれば、いつになきふけうげなお顔色にて「これ杉田、よんだのは外でもないが、今はなれにきて房雄と話をしてるのは、少しも聞おぼえのないやうな声だつたが、どなたかの」はてな妙なことをお聞き遊すと思ひながら「ハツ若殿様が此頃から御懇意に遊す小説家、放蕩山人と申方で御座います」ときいて、御前は眉をひそめ「ン小説家か、宝塔山人とは仏くさい名ぢやが……」「御意で御座います、歌舞の菩薩に縁のありさうな、結構な雅号で御座います」御前はフフと苦笑して「イヤそんな事はともかく、房雄はどうして戯作者なんぞと懇意になつたか、お前はよく知つてるだらう、ここでくはしく話しなさい」作者と懇意なのがどうしたと、仰るんだらうといぶかりながら「ハツよくはぞんじませんで御座いますが、此春の試験休みに、鎌倉から江の島の方へ御出遊した時、恵比寿やとかで御懇意におなり遊した御様子で御座います」「ンなる程、あの時は誰が供だつたかな」「さやうで御座います、別にお供の者はまゐらず、只御学友の若様方ばかりでお出遊しました」「なる程、一人で行つたつけな……ンぢやお前の落度ではない」落度ときいて三太夫びつくりして御前を見る。御前は猶も語をついで「イヤおれのやうな老人は今の小説家とかいふ者の才学はどんなものか、品行はどんなものか一向に知らないが、しかし昔の戯作者などといふものは、大抵普通のまじめな人間とはちがツての、いはゞこれといふきまつた職業もなく、しツかりした学問もなく、マアきゝかぢりの漢学か何かを、どうやらかうやらつかひこなして、俗人を驚かせたやうな質のもので、其上品行なども皆みだらなものばかりで、つまり其持つて生れた小才で、世の中を胡魔化して、一生貧しく賤しく送たものばかり多かつた、それで今の小説家も、やつぱりさうだらうといふではないが、房雄は只さへあゝいふ軟弱な質だから、なる丈軍人か何かを友人にして、さういふ風の人にはあまりつきあはせたくないとおもふが……何とか遠ざける工夫をしたいものだがの」落度の意味のわかりしに、三太夫やつと落つき「御意で御座います、只見うけましたところでは放蕩山人もいたつてよい方のやうで御座いまするが御前の思召をうかゞへば、また若殿様の御身の上も案じられますから、猶あの方の善悪を聞きたゞして、もしもお為にならないやうな事が御座いましたら、なるべくお腹立にならないやう、若殿様に御意見を申上ませう」「イヤ人間のよしあしにかゝはらず、おれは小説家ときくと、実に身ぶるひがする程きらひだから、ぜひ遠ざけてもらひたい」。
折から殿の愛妾お露の方、しづかにこゝに入りきたりて横目でぢろり三太夫をにらみしが、電光石化首ふりむけ、殿を見る目はきはめてやさしく、したゝるやうな媚をふくみ、いひにくさうにくごもりながら「アノ……只今ちよいとお次で伺ひましたが……アノ…‥御前様」殿はわるいところへきたといふやうなおこゑで「露、何か用があるのか」「ハイ」涙ごゑで三太夫の方にむき「アノ……何で御座いますが、私へは今日かぎりおいとまを下しおかれまするやうに、もし杉田さん、どうか御前様におねがひ下さいまし」御前は意外に吃驚して「露、何が気に入らなくつてさ様の事を申のぢや」いはれて猶々涙ごゑで「何の勿体ない、気にいらぬなどゝ……決して/\さやうの事では」「では何ぢや」「ハイ……あの御前様のおいとひ遊す放蕩山人とは、私の兄、今宮丁の事で御座いますから、其妹の私もとてもながくは……」きいて御前は意気地なくも「さやうか、露の兄とはしらなかつた」きまりわるげに三太夫の方にむき「これ杉田、そんならすこしもくるしうない、何ぞうまいものでも沢山御馳走してやるがいゝ」変幻自在にあきれはてゝ、思はずしらず三太夫「ハツ今度はさ様に遊しますか」。
(三)
立聞されしもつゆしらず、はなれにきてゐる放蕩山人ホーレル水でも呑みしものか、日本人とは思はれぬほどつや/\する色白な格恰のよい顔に、ぞつとするほど愛嬌のあるゑくぼをよせながら「イヤどうも驚きますね」と不意にいはれて房雄も驚き「ヱどうかしましたか」「イ
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田沢 稲舟 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング