て「ほんとにお前の器量なら、女のさわぐのも無理はないよ」「なんだねくだらない事を……それよりかきツとうまくいぢめなければいけないよ」「あいよ承知だよ」折から格子をがら/\あけて、お露は今しもみがきたてゝかへりきたるを、見るより母は目に角たて、我子に一寸目をくばせし、手なみを見よといひ顔に「大変長かツたね、此忙しいのに何をぐづ/\してるんだへ、まいにち/\化粧三昧に大事の時間を費して、女郎芸者ぢやあるまいし、見ツともない、着物をずる/\引ずつて……」いつもとても意地わるけれど、今日はあまりのするどさに、お露は殆ど縮みあがり、小さくなりておそる/\「おツ母さん、かんにんしててうだい、つひお向のみいちやんと御一所になツたもんですから」とがり声にて「また俳優の噂にでも夢中になツてゐたんだろう、馬鹿々々しい……オヤ/\大変美しくおつくりができましたね、丸で粉なやの盗《どろぼう》のやうですよ、オホ……オヤこのこは泣くよ、何が悲しいんだへ、……しかし思へば尤だよ、こんな働のないものを亭主に持て、ろくに物見遊山もできず、おまけに私のやうな、皺くちや老婆の世話までするかとおもツたらさぞなさけなくなるだろうよ、ねヱお前、露は泣く程こゝのうちが否なんだから、男らしく未練をいはずに、ひまをおやりよ」此時までもお露の方を見むきもせず、新聞よみゐし放蕩山人、やうやくこちらに頭をまげ無造作に「なに否ならいつでも出ておいでよ、お前の方では未練があツても、おれの方にはすこしもないから、ちツとも御遠慮には及ばないよ、ハイ女に不自由しませんから」と、言ひつゝ一寸時計を見て「おツ母さん、今日人と約束した事があるから出てくるよ、着物を出しとくれな」「アア」「早くさ、おそくなるといけないから」いはれてやう/\立ながら「なる丈早くかへるんだよ」「早くはかへられないよ」「オヤなぜ」「なぜでも訳はあとで話すよ、いくらおそくとも又二三日かへらなくとも、案じずにゐておくれ、それから着物はあの縞縮緬にしとくれ」「アア」といひつつ母親は奥に行。今まで泣伏してゐたお露はむくりとおきあがり、いきなり今宮にとりついて「あなた今のはほんとうツ」情けなくもいきなり其手をふり払つて「お気の毒だがほんとだよ」

   (九)

 こゝは下谷の池の端、名もなまめかしき後朝《きぬぎぬ》といふ待合の奥二階、此あついのにしめ切つて、人目を忍ぶ男
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