と糸子さんと、何か訳でもあるといふんだね」泣ながら「ハア……だから私しやどうしやうかとおもふの」うるさくて仕様なければ、どうにかしてかへさんと、きツと心に思案して「どうしなくともなんとかかとかこぢつけて、早くさがツておれと夫婦になツたらいゝぢやないか、それともおれのやうな素寒貧はいやかへ」とにツこり笑ふうつくしさ。此一言にたらされて、今の怨もどこへやら、涙をはらひてうれしげに「あなた屹度、ほんとですか」「うそなんぞいふもんか」「そんならもう安心ですが」といひつゝ柱の時計を見て「オヤもう四時ツ、ほんとににくらしい時計ですね、仕方がない、今日はマアかへりませう、おそくなツてあらはれるといけないから」「さ様さね、其方がよからう」丁の腹の中、どうか早くあらはれて、おれのきずにはならぬやう、こいつばかりさげられてくれ。

   (七)

 奥方きツとかたちを正して、面色たゞならぬ殿にむかひ「御前、さうお怒り遊してはこまりますよ、御前はまだ迷つていらツしやるから、さ様な事を仰いますが、何の兄なもので御座いますか、露と今宮はどうしてもおかしう御座いますよ」御前ひどく立腹したる様子にて「ンそれにはたしかな證拠があるのか」とよもやあるまいといふ顔色、奥方は得意になつて「御座いますとも、何よりたしかな證拠には、区役所に杉田をやツて、戸籍をしらべてもらひましたら、うそもうそも、まつかなうそで露には男の兄弟なんぞないとの事で御座います」こゝにいたツて御前も最早一句もなく、苦々しげに意気地なくも「さうか、しかしともかく一応おれに相談してくれゝばよかツたのに」「オヤまだ御未練があるので御座いますか、ほんとに御前もう何で御座いますよ、お年がお年ですから大がいに遊した方がよう御座いませう……それはともかく、あの今宮のおかげで、実に大変で御座いますよ」「イヤ今宮は最初ツからおれも好かない男だツたが、実にけしからん奴だ……尤も露も露だが、して大変とはどんな事か」「外でもない、あの、房雄で御座いますがこまつた事には今宮にさそはれて、吉原通ばかり勉強したものと見え、学校は首尾よく落第したばかりか、昨日も今日も家へはかへツてまゐりませんから、どうした事かとさま/″\たづねてもらひましたら、マアおきゝ遊せ、かねて馴染の尾彦の小太夫とかいふ女をつれて、熱海へ行ツたとの事で御座います」これには御前もあきれはてゝ「
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