濃い、顔色のつやつやとした、肩幅の広い男で、物わかりは余りいいほうではなかったが、根が陽気な質《たち》で、見るからに逞《たくま》しい青年《わかもの》だった。
この縁談には彼女のあずかり知らぬ財産目あての理由があった。本心が云えるものならば、彼女は「あんな人のところへ行くのは厭だ」と云いたかったのであろう。けれども、両親の意に逆らうのもどうかと思う心から、ただ頸《くび》をたて[#「たて」に傍点]に掉《ふ》って、無言のうちに「行く」という返事をしてしまったのだった。彼女は物ごとを余りくよくよしない、生活というものを愉しもうとする、陽気な巴里《パリ》の女であった。
良人は彼女をノルマンディーにあるその屋敷へ連れて行った。それは、鬱蒼と茂った老樹にぐるりを囲まれた、石造りの宏壮《こうそう》な建物だった。正面には、見上げるような樅の木叢《こむら》がたちはだかっていて、視界を遮っていたが、右のほうには隙間があって、そこからは遠く農園のあたりまで伸びている、荒れ放題に荒れた野原が見えた。間道が一条、柵のまえを通っていた。そこから三|粁《キロメートル》離れたところを通っている街道に通じる道である。
ああ! 彼女にはいま、その頃のことが何もかも思い出されて来るのだった。その土地へ着いた時のこと、生れて初めて住むその家で過した第一日のこと、それにつづく孤独な生活のことなどが、それからそれへと思い出されて来るのだった。
馬車を降りて、その時代のついた古めかしい家を見ると、彼女は笑いながら、思わずこう叫んでしまった。
「まあ、陰気ッたらないのね!」
すると、こんどは良人が笑いだして、こう云った。
「馬鹿なことを云っちゃアいけないよ。住めば都さ。見ていてごらん、お前にもここが好くって好くって、仕様がなくなっちまうから――。だって、この僕が永年ここで暮していて、ついぞ退屈したなんてことが無いんだからね」
その日は暇さえあると二人は接吻ばかりしていた。で、彼女はその一日を格別長いとも思わなかった。二人はその翌日も同じようなことをして暮してしまった。こうして、まる一週間というものは、夢のように過ぎ去った。
それから、彼女は家のなかを片づけ出した。これがたッぷり一月《ひとつき》かかった。何となく物足りない気はしたが、それでも仕事に紛れて、日が一日一日とたって行った。彼女は生活上の別に取り立てて云うほどのこともないような細々《こまこま》としたことにもそれぞれその価値があって、これがなかなか馬鹿にならないものであることを知った。季節によって、卵の値段には幾サンチームかの上り下りがある。彼女にはその卵の値段にも興味がもてるものだと云うことが解った。
夏だったので、彼女はよく野良へ行って、百姓が作物を穫《か》っているのを見た。明るい陽ざしを浴びていると、彼女の心もやっぱり浮き浮きして来るのだった。
やがて、秋が来た。良人は猟をしだした。そして二匹の犬、メドールとミルザとを連れて、朝から家を出て行った。そんな時に、彼女はたったひとりで留守番をしているのだが、良人のアンリイが家にいないことを、別に淋しいとも思わなかった。と云って、彼女は良人を愛していなかったわけではない。充分愛してはいたのであるが、さりとて、良人は自分がそばにいないことをその妻に物足りなく思わせるような男でもなかった。家へ帰って来ると、二匹の犬のほうがかえって彼女の愛情を攫《さら》ってしまうのだった。彼女は毎晩、母親のように、優しく犬の世話をした。暇さえあれば、二匹の犬を撫でてやった。そして、良人にたいしては、使おうなどとは思ってもみなかったような、さまざまな愛称をその犬につけてやったりした。
良人は彼女に猟のはなしをして聞かせた。それが良人の十八番《おはこ》だった。自分が鷓鴣《しゃこ》に出あった場所を教えたり、ジョゼフ・ルダンテューの猟場に兎が一匹もいなかったことに驚いてみせたりした。そうかと思うと、また、アンリ・ド・パルヴィールともあろう自分が追い立てた獲物を、町人の分際で横あい[#「あい」に傍点]から射とめようという魂胆で、自分の領地の地境のところばかりをうろうろしていた、アーヴルのルシャプリエという男のやり[#「やり」に傍点]口にひどく腹を立てたりした。
「そうですわねえ、まったくですわ。それは好くないことですわ」
彼女はただそう相槌《あいづち》を打ちながら、心ではまるで別なことを考えていた。
冬が来た。雨の多い、寒いノルマンディーの冬が来た。空の底がぬけでもしたように、来る日も来る日も、雨が、空に向って刄《やいば》のように立っている、勾配の急な、大きな屋根のスレートのうえに降りつづけた。道という道は泥河のようになってしまい、野はいちめんの泥海と化した。聞えるのは、ただどう
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