あることを物語っている。あの自動車も必ず彼等の自家用車に違いない――。
 氏はその一一一六六六という番号を基調に、間もなく彼女が子爵|脇坂《わきざか》夫人であり、かの老人が家付きの七尾《ななお》医師であることを知った。
 氏はなんらゆすりがましい気持を持ったわけではなかった。が、それを知ると、何か説明しがたいものに惹《ひ》かれて、氏は一日麹町の子爵邸を訪れたのである。そして、おお、そのわずかな行動が、氏をこれほどの不運な境遇へ導こうとは!

「ね、考えてみれば初めから企《たくら》んだ仕事なのです、あの煙草の件にしたって」とながい物語を終わった氏がいったのである。「射的屋|云々《うんぬん》も一応の理屈はたつが、事実そんなことが許されるかどうか、また湯銭にしたって日比谷の泥棒にしたって事実あれほどぴったりとゆくものかどうか、そうして何がために老人がそれほど私を助けたのか、ね、皆あの女との交渉を持たそうがために、老人は前から適当な青年を物色していたに違いないんです。履歴書を見たり、一日中、かまえてその青年をためしていれば、それが人間としてどれだけ欠点のない男かどうかはわかるはずではありませんか。ことに私は、あの晩真っ先に自分の肉体を隅々まで調べられているのです。そうです、あの名のないお湯屋の中で。
 あの女が歌舞伎へ連れて行った赤ん坊は、ああ確かに私の子供なのだ。彼等は子供の欲しい一念から、あんな風に私を利用した。利用した果ては殺そうとした。一一一六六六の自動車は、あの不思議な町から久し振りに往来へ出た私を轢き殺そうとした自動車なのだ。運転手の顔は知っている! そしてようやく私があの老人に面会すれば、なんということぞ、彼等はその金と権力を持って、とうとう私をこんなところへ入れてしまった。弁解すれば弁解するほど病人にされる、ぬけることのできないこの地獄へ私を陥れてしまった。ああ誰が、誰がこの私の話を少しでも信じてくれるだろうか。あの子供を、やがての子爵を、私の子供と知ってくれるだろうか――」
 割に自由な瘋癲《ふうてん》病院の一室で、寺内氏はこれだけの物語を私にしてきかせたのである。氏が自殺したときいて私はこれをまざまざと思い出した。
 読者はこの物語を、やはり精神病者の言葉として、少しも信じてはくれないだろうか、考えてはくれないだろうか。



底本:「鮎川哲也編 怪奇探偵小説集1」ハルキ文庫、角川春樹事務所
   1998(平成10)年5月18日第1刷発行
底本の親本:「怪奇探偵小説集」双葉社
   1976(昭和51)年2月発行
初出:「新青年」
   1930(昭和5)年4月号
入力:藤真新一
校正:門田裕志
2004年5月18日作成
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