もない板塀の門から、堂々と中に入って行った。まだほの暗いその門へは、法被姿や巻脚絆《まききゃはん》や、いずれは労働者と見える連中が、同様に一人ふたり連れ立ってやって来ていた。そして寺内氏も、老人と共に人々に交って、なんの心配もなく、広い新木造りの食堂で、腹いっぱいに、温かい食事をすることができたのである。
「これも都会のぬけ裏[#「ぬけ裏」に傍点]なのかな?」
寺内氏はそう思いながら幾杯もお代わりをした。
門から出る時には少し手段がいった。それはこの食堂が、ある組合の経営のもので、そこで食事を許される労働者は、しばらく塀のうちで待ったのちに、監督につれられて、その日の賃銀を働くべく、作業場へ行くようになっているからである。
が、三十人に近いそれ等の労働者のうちには、ちょいと煙草を買うために門を出て行く者がないではない。寺内氏と老人とは、きわめて自然にそんな労働者を装って、苦もなく再び、自由な町へと門を出たのだった。
「どうだい、罪だと思うかね、俺がこんな風に生活していることを?」
その門から数町離れたところで、やはり歩きながら老人がいった。そして今は幾分老人に安心した寺内氏が、それに対して少しの意見をのべたに対して、
「勿論《もちろん》罪は罪だろう、が、こんな罪は決して他の労働者に迷惑をかけたり、また監督の腹をいためたりはしやしない、全く周囲に交渉のない罪なら、社会的にはそれは少しも罪ではないからな」
と老人は、なかなか変わった意見を吐くのである。そして老人自身はその罪でないことを信じている旨を話し、二三、こうした罪でない罪のはなはだ老人にとって有益である例をあげた後に、
「面白いと思うなら、これからある場所へ行って、お前さんの服装をもっと立派なものに変えてみようではないか。一文もいらないとも、勿論。俺だって今少し若ければ、色気というものがあるから、多少こざっぱりしたなりをしてるんだが、この年ではこの方が気楽だからな」
と、これまた興味のある相談だった。
寺内氏はその時、老人の持っている主義というか哲学というか、そんなものから、自分の今日までを照らし合わして、なかば肯定《こうてい》的なものを感じたとのことであった。
今はこうした不思議な生活の、その罪であるかどうかというような問題よりは、これから直面しようとする服装の冒険に、いいしれぬ興味と勇気を覚え
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