ころに帰るのでございました。
 こうした私の幸福な生活に、最初の禍《わざわい》を持って来たのは、すなわちウードレーの赤髭顔でございました。彼は一週間と云うことで訪ねて来たのでしたが、しかし私には全くその間が三月以上もの長さに思われましたわ。彼はもともと誰からも嫌われる人間のようでしたが、しかし私にとっては取り分けて悪人でした。彼は失礼にも私を愛してるなどと云って、その富を鼻にかけて、もし私が彼と結婚するなら、ロンドンで一番大きなダイヤモンドを買ってくれるなどと云うのでした。そして遂には、私がどうしても取り合わないと見て取って、ある日の夕食後に、私をしっかりと押えつけて、――それはとても怖ろしい力でしたが、私がキスをしない中《うち》は、どうしても放さないと云うのでした。そこにちょうどカラザースさんが入って来て、彼から私を引き放してくれましたけれど、今度はこの暴漢は、主人の方に方向転換して、散々なぐりかかって、遂にその顔に怪我までもさせてしまったのでした。これが申すまでもなくその男の訪問の最後でございましたが、次の日カラザースさんは、私に陳謝して下さって、もう二度とこう云う侮辱には遭わせないからと、固く誓って下さるのでございました。その後は私は、ウードレーをもう見ませんの。
 そしてホームズ先生、これからがいよいよ、私が今夜伺った、特別の事情のお話になるのでございますが、まず私は毎土曜日の午前に、十二時二十二分の列車に乗るために、ファーナムの停車場まで、自転車に乗ってゆくことを御承知おき下さいまし。そのチルタアーングランジからの道は、それはそれは寂しいのでございますよ。殊にあの一方は、チャーリントンの荒地で、その一方はチャーリントンの廃院を包む森の間の、一|哩《まいる》ばかりの間と云うものは、とても寂しいのでございますの。あんな寂しいところは全く、どこにもないと云ってもいいほどだと思いますわ。あのクロックスベリーの丘の、広い道に来るまでは、荷馬車一台、百姓一人に逢うことさえも稀なのでございます。それがちょうど二週間前でございますが、私がちょうどそこを通っている時に、ふと肩越しに後を振り返ってみましたら、やはり自転車に乗った一人の男が、私の後方二百|碼《ヤード》くらいのところをついて来るのに目が止まりました。その男は中年の、身体の小さな、黒い髭の者のようでございましたが、
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