のです。無論あなたは兄弟は似ているとおっしゃるでしょう。しかし同じ歯を同じようなやり方でうめるわけがないではありませんか。――彼は私を送り出しました。そして私は通りへ出ましたが、無我夢中で、足で歩いてるのか頭で歩いてるのか分かりませんでした。私はホテルへ帰りつくと、冷たい水で頭をひやして、そのことを考えてみました。――なぜ彼はロンドンからバーミングハムへ私を寄越したんだろう……またなぜ彼は私に近寄って来たのだろう。そして何の必要があって彼は、自分自身から自分自身へあてた手紙などを私に持たせてよこしたのだろう? ――これらのことは私にはあまりに問題が多すぎて、判断が出来ないのです。その時ふと私は、私には何が何だか分からないことも、シャーロック・ホームズさんには分かるだろうと云う事に考えついたんです。で、私はすぐさま夜中《やちゅう》に乗り込んで、今朝お目にかかって、そのままバーミングハムへ私と一しょに来ていただこうと思ってやって来たわけなのでございます」
株式仲買店事務員は彼の不思議な経験を話し終ってから、ちょっとだまった。と、シャーロック・ホームズは、ちょうどお酒の鑑賞家が、素晴らしい葡萄酒の最初の一滴を一吸い吸い込んだ時のような、嬉しそうなそれでいて何かを批判しているような顔つきをして、クッションに背をもたせながら、私のほうへ斜に視線を投げかけた。
「面白い問題じゃないか。ねえ、ワトソン」
と、ホームズは云った。
「これには僕を喜ばせる点があるよ。君も賛成するだろう。二人でアーサー・ハリー・ピナー氏に、そのフランス中部鉄器株式会社の仮事務所で会見することは、むしろ我々に興味のある経験だと云うことに」
「しかしどうしたら会えるだろう?」
私はきいた。
「ああそりアごくやさしいことですよ」
と、ホール・ピイクロフトは快活に云った。
「あなた二人は職をさがしている私の友達で、何かに使ってもらおうと思って専務取締役に引き合せるためにつれて来た、と云うこれより自然な方法はないでしょう?」
「もちろん、そうだ!」
ホームズは云った。
「私はその男に会って、私が何かその男のやってる小さな計画《けいが》についてしてやることが出来るように見せかけなくちゃならないね。――ところで、君はどんなことをするかね、最も有効に働くには? それとも出来れば……」
彼は爪をかみ初めた。そして窓から外を一心に眺め初めた。そうして私たちはそのまま、私たちが新開通りへつくまで一言も彼から言葉を引き出すことは出来なかった。
× × × × ×
その日の夕方七時、私たち三人は歩いて、コーポレーション通りを会社の事務所のあるほうへ下っていった。
「時間が来るまでは私たちは用なしのからだですよ」
と私たちの依頼人は云った。
「明《あきら》かに、彼は私に合うだけにあそこへ来るんです。なぜって、時間が来るまでは、事務所はガラ空きになってるって、彼が言明してますもの」
「何か曰くがありそうだな」
ホームズは云った。
「確かにそうなんですよ。――ほら、あそこへやって来ました。」
と、その事務員は叫んだ。
彼は道路の反対側をいそぎ足で歩いている、小柄なブロンドのきちんとした服装をしている男を指さした。私たちが彼に注意している時、彼は馬車やバスの間から飛び出して来た。夕刊を売りながら怒鳴っている少年を呼びとめて、一枚買いとった。そしてそれを手に掴《にぎ》りながら入口から中へ消えてしまった。
「あそこへいった」
ホール・ピイクロフトは叫んだ。
「彼が這入ってった所に事務所があるんです。私と一しょにお出で下さい。出来るだけ無雑作にやっちまいましょう」
私たちは彼について五階まで登った。すると私たちは入口の戸が半分開きかかっている部屋の前に出た。私たちの依頼人はそこでノックした。
「お這入り下さい」
そう云う声が、部屋の中で私たちに挨拶した。そこで私たちは、ホール・ピイクロフトが話した通りな、飾りつけのしてない丸裸の部屋の中に這入っていった。たった一つしかない机の前に、私たちが通りで見た男が、自分の前に夕刊をひろげたまま坐っていた。私は、その男が私たちのほうを振りむいた時、そんなに悲しみの跡のある、と云うより悲しみ以上の何ものかの跡、――この世の人が生涯のうちにほとんど出会うことのないような恐怖の跡のあるそんな顔を、見たことはないような気がした。彼の顔は汗で輝き、頬は魚の腹のようないやな白い色をし、そして彼の両眼は野獣的で人をジロジロ眺めていた。彼は彼の事務員を、誰だか分からないかのような顔をして見詰めた。私は私たちの指揮者の顔に浮んだ驚きを見て、それは決してその男の平常の表情ではないことが分かった。
「どこかお悪そうで
前へ
次へ
全11ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ドイル アーサー・コナン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング