も」
 と、私は申しました。
「世間の人はあなたが考えるようには、私を買い被ってくれませんよ。ピナーさん。――私はこの地位を得るのにずいぶん苦労したんですから、私はこの職にありつけたのを喜んでおりますよ」
「馬鹿な、世間の人、こんなものからは超越すべきですね。あなたはあなたの真価に応《ふさわ》しい位置にはいませんよ。――そこで私はあなたに御相談があるんですが、私と一しょに仕事をしていただきたいと思って。――そりア私があなたについていただきたいと思ってる地位だって、あなたの才能に比しては不充分なものなんですけれど、でもモウソンの所の地位と較べたら、暗《やみ》と光ほどの相違です。まあ、お話しましょう。――あなたはいつ[#「いつ」は底本では「いつも」]モウソンの所へいらっしゃいますか[#「いらっしゃいますか」は底本では「いらっやいますか」]?」
「月曜日です」
「ハッハッ!――あなたはあそこへは断じていらっしゃいませんよ。賭をしてもいいと思いますね」
「モウソンの所へいかないって?」
「そうですよ。――その日までに、あなたはフランス中部鉄器株式会社の営業支配人におなりになるでしょう。その会社はフランスの町や村に百三十四の支店と、その他に、ブラッセルに一つとサン・レモに一つ支店を持っています」
 この話は私を呼吸《いき》づまらせるほど驚かせました。
「私はそんな会社の話はききませんよ」
 私は申しました。
「そりア、話をきこうわけはありません。それは非常に秘密にされたんです。なぜなら資本家がみんな匿名だったからですが、しかし公にしたほうがいいんです。――私の兄弟のハリー・ピナーは発企人《ほっきにん》なんですが、選挙の結果、専務取締として評議員に加わっています。彼は私がこちらへやって来ることを知ってたものですから、私に申しました。不遇な才能ある人間を抜擢して来てくれとね。――元気のいい前途有望な若い人をね。――あなたのことはパーカーが話してくれたんです。そして今夜こちらへつれて来てくれた人です。私たちは初任給として、あなたに五百|磅《ポンド》さし上げることが出来るにすぎませんが――」
「五百|磅《ポンド》、一年に!」
 と私は叫びました。
「それは最初だけの話です。しかしあなたの周旋でされた取引に対してはすべて、一パーセントの過勤割戻しをとることが出来るんです。そして正直の所、これがあなたの俸給より多くなることは受合いです」
「けれど私は鉄器類のことについては何も知りませんよ」
「しようがないな、君は。――形は分かるでしょう」
 私の頭の中は騒然として、私は静かに椅子に腰かけていられなくなりました。けれど、ふとかすかな疑いが、私におこりました。
「ざっくばらんに申上げますが……」
 と私は云いました。
「モウソンは私に二百|磅《ポンド》くれるだけです。けれどモウソンのほうは確かなんです。が、真実の所、私はあなたの会社についてはほとんど知らないのですからね、――」
「ああ、あなたは実にきびきびしている!」
 と、彼は喜びで夢中になっているような調子で叫びました。
「あなたは私たちがほしいと思ってた通りの方です。それ以上おっしゃらなくても、ちゃんと分かっています。さあ、ここに百|磅《ポンド》の小切手があります。――もしあなたが私達の仕事をしようとお思いになったら、これを給料の前渡し分としてお納めになって下さい」
「分かりました。大変結構なお話です」
 私は申しました。
「で、いつから私は仕事にかかったらいいんでしょう?」
「すぐに明日、バーミングハムへいってもらいたいんです」
 と、彼は云いました。
「ポケットの中へ、私は手紙を持って来てますから、それを私の兄弟の所へ持って行って下さい。コーポレーション街一二六番地ですから、分かります。そこに会社の仮事務所があるんです。――もちろん、あなたとのお約束は彼が確実に取きめてくれるでしょうが、しかし私たちの間にはちゃんと話がしてあるんですから……」
「本当に、私は、あなたにどう云ってお礼を申上げたらいいか分かりません。ピナーさん」
 私は申しました。
「そんなお礼なんかなさることはありませんよ。君。あなたはただあなたが当然受くべきものを受けたにすぎないんですもの。――だが、ちょっとしといていただかなければならない、――単なる形式なんですが、――つまらないことが一つ二つあるんです。そこへ紙を一枚お出しになって下さいませんか。そしてすみませんが、「最低俸給五百|磅《ポンド》にて、フランス中部鉄器株式会社営業支配人として働くことに同意致し候」と、お書きになって下さい」
 私は彼の云う通りにしました。そして彼はその紙をポケットの中へしまい込みました。
「それからもう一つ精《くわ》しくおききしたいのは、あな
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