がみついて、猛烈な力で引き戻しました。
「ねえジャック、お願いだからそんなことしないでちょうだい」
彼女は叫ぶように云うのでした。
「その代り、いつかはきっと、何もかもみんなお話しするわ。私、誓ってよ。けれども何でもないのよ。――でも、今、この家《うち》の中へ這入って行くと不幸が起きて来るの」
私は彼女を振り放そうとしましたが、彼女はまるで気違いのように嘆願しながら私に噛《かじ》りつくのでした。
「ねえジャック、私を信じて!」
と、彼女は叫びました。
「今度だけでいいから、私を信じて。――あとで悲しまなければならないような原因を作っちゃいけないわ。――私、あなたのためでなければ、あなたに何もかくしたりなんかしやしないの。ね、それは分かって下さるでしょう。私たちの命が、これにかけられてあるのよ。けれどあなたが私とこのまま家《うち》へ帰って下されば、すべてはうまく行くの。そうでなくて、もしあなたが無理にこの家《いえ》の中へ這入っていらっしゃれば、もうそれまでなの」
彼女の熱心さとそして憂わしげな様子とは、私を思いとまらせました。そして私は入口の前に心をきめ兼ねて立っていたのです。
「条件づきでお前の云うことを信じよう。たった一つの条件づきで……」
やがて私は云いました。
「それはこの不快な事件を、きょうを最後にすると云う条件だ。――お前はお前の秘密をかくしていたいならそれはお前の自由だ。けれどただこれだけは約束しなくちゃいけない。もう二度と夜中によそ[#「よそ」に傍点]へ出て行かないと云うことと、私に知らせないでは何もしないと云うことだけは。――そして、もうこれからこんなことはしないと云うなら、出来ちまったことは忘れてやってもいい」
「たしかに私を信じて下さるわね」
と、彼女はそう云って、ホッと太い溜息をつきました。
「あなたのお望み通りにするわ。ね、さあ、行きましょう。家《うち》へ帰りましょう」
彼女はなおも、その離れ家から私を連れ去ろうとして私の袖を引っぱるのでした。やがて少し行ってから私が振り返ってみますと、例の黄色な鉛色の顔が、二階の窓からじっと私たちを見詰めておりました。――一体、あの気味の悪い顔と私の妻との間に、何かのつながりがあるなんて云うことがあるだろうか。否《いな》、きのう私が会った、あの呪わしい粗野な女が、どうして私の妻とつながりをつけたのだろう?――不思議な謎です。そしてこの謎を解かない限り、私の心はどうしても平静に戻ることは出来ないと云うことが分かりました。
それから二日の間、私は家《うち》におりました。そして私の妻は、私たちの約束に絶対的に服従して、私の知ってる範囲では、家《うち》から外へは決して出ようとしませんでした。すると二日目のこと、私は彼女のした約束が厳格に守られていないで、彼女は彼女の夫と彼女の義務を裏切っていると云う証拠を握ったのです。
その日私は町へ出かけていったのでしたが、いつも私が乗る習慣になっていた三時三十六分の汽車の代りに、二時四十分の汽車で帰って来たのです。そして家《うち》に這入ると、女中がびっくりした顔をして、大広間に飛び出して来ました。
「奥さんはどこにいる?」
私は訊ねました。
「散歩にお出かけになったようでございますわ」
と、女中は答えました。
私の心はみるみる猜疑心で一ぱいになってしまいました。私は彼女が家《うち》にいないと云うことを確かめるために、二階にかけ上がりました。私は二階にかけ上《あが》りながら、偶然に窓から表《おもて》をチラッと見ました。と、私は、今私が口をきいて来たばかりの女中が、広場を横切って例の離れ家のほうへ走って行くのを見つけたのです。こうなれば、無論私は、すべてのことを想像することが出来ます。――私の妻は例の離れ家にいっているのです。そしてもし私が帰って来たら迎えに来るように云いつけてあったのです。私は怒りにふるえながら、二階から馳《か》け降りると広場を横切って走って行きました。この事件をきれいに解決してやろうと決心して。――私は私の妻と女中が並んで、例の細い道をいそいで戻って来るのに出会いました。しかし私は立ち止ろうともしませんでした。――あの離れ家の中に、私の生活に暗い影を投げている、何かの秘密が横たわっているんだ。たといそれがどんなものであろうと、いつまでも秘密にしておいてはならない、――と、私は自身に誓いました。そしてその離れ家につくと、私はノックもせずに、いきなりドアのハンドルを廻して中に飛び込んだのです。
一階は全く静かでひっそりしていました。お勝手のお鍋の中で何かがぐずぐず煮えてい、黒い猫が籠の中にうずくまっているだけで、私が前に会った女の影はどこにも見えませんでした。私は別の部屋に馳《か》け込んでみました。し
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