彼に出会ったことはなかった。――彼は肱附き椅子に腰かけたからだを前に乗り出して、膝の上に例の記録をひろげた。それからパイプに火をつけて、しばらくの間煙草をくゆらしながらその頁《ページ》をひっくりかえしていた。
「君は僕がビクター・トレヴォの話をしたのをきいたことがなかったかね?」
 彼はきいた。
「その男は僕が大学にいた二年間に出来た、たった一人の友達だったのだ。僕は決して社交家じゃなかったから、いつもむしろ自分の部屋の中にとじこもって、推理方法の研究を積むことを好んでいた。だから僕は決して自分と同年輩のものとつき合ったことはなかったよ。棒剣術だとかボキシングだとか云うようなものにもほとんど興味がなかったし、従って研究していること柄が、他の連中とは全く違っていて、全然接触する点なんかなかったのだ。しかしそうした中にあって、僕が知り合いになったのはトレヴォだけだったんだ。しかもそれも、ある朝、教会へ出かけて行く途中で、彼のブルテリヤが僕の踝《くるぶし》にかじりついてね、そんな偶然な出来事からだったんだ。
 それは友情なんかの出来る経路としちゃ、殺風景な話だが、しかしそれだけに深かったんだね。――僕は犬にかまれたおかげで十日ばかり寝ちまったのだ。するとトレヴォは始終容態をたずねに来てくれるんだ。それも初めのうちは二三分話して行くにすぎなかったけれど、まもなく長くなって、足が直る頃までには僕たちはすっかり仲よしになっちまったんだ。――トレヴォは真心のある熱情漢で、元気と勢力とに満ち満ちていた。すべての点で僕とは全く反対だった。けれど僕たちは何か共通な所があるような気がした。そして彼もまた私と同じように友達がないのだと云うことが分かった時、それが更に二人を結ぶ絆となったわけだ。――彼はとうとう僕をノルフォーク州のドンニソープにある彼の父親の家に、僕を招待してくれた。そして私は長い休暇に一ヶ月の間、彼の厄介になったものだ。
 彼の父親のトレヴォは、幾らか財産も名誉もある男で、治安判事で地主でもあった。このドンニソープと云う町は、ブロートの田舎、ラングメルの北方にある小さな村なんだ。彼の父の家と云うのは、古風な広い樫の梁をもった煉瓦造りで、玄関までずっ[#「ずっ」に傍点]と、見事なしな[#「しな」に傍点]の木の並木がつづいていた。池の中ではたくさんのあひる[#「あひる」に傍点]
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