難した。彼はその非難を認めて、異った見地から新たに書き直すことにし、完全な改作ができないことを恐れて最初の原稿を焼き棄て、再び白熱の興奮の中に約三万語の作を僅か三日間で書き上げたと言われている。尤も推敲と完成にはその後約一カ月を要したという。ともかく、スティーヴンスン自身の言葉によればこの書が「考察され、書かれ、書き直され、再び書き直され、印刷された」のが「十週間以内」であったというのは、真実であろう。
こうしてこの作は一八八五年の秋の末頃には既にロンドンのロングマンズ、グリーン社から単行本として出版される準備が出来ていたが、出版社の営業上の理由から延期され、翌八六年の一月中旬に発行された。最初は別に顧みられなかったが、「タイムズ紙」に紹介の一文が出るに至って世の注目を惹き、他の批評が続々と現われ、また聖《セント》ポール大会堂でその道徳的寓意《モラル》が説教の材料とされるに及んで、各地の教会の牧師も好んでこの作を引用し、世評は益々高まり、この書は大いに読まれて、一伝記者に従えばバイロン卿の如く「スケリヴォーの病隠遁者も一朝目覚めて自己の名高きを知った」のである。かくしてスティーヴンスンはこの一小編によって作家としての名声を完全に確立するに至った。この二年前に彼の出世作「宝島」の出現が世に迎えられた時もそれの最初の出版から一年間に売られた部数は約五千に過ぎなかったが、「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」は数カ月にして五万部を売り、更に大西洋を越えてアメリカにおいてもポーに比されて直ちに歓迎された。そして今日においては、前述の如く、全世界において「ジーキル博士とハイド氏」または「ジーキルとハイド」と言えば二重人格を意味するくらいに一般的となっているのである。
作そのものについては茲に解説しない。エドガー・アラン・ポーの「ウィリヤム・ウィルスン」、オスカー・ワイルドの「ドーリアン・グレーの肖像画」などと共に、この種の文学としては世界的古典となっているが、それらとの比較も読者にとって興味ある題目であるだろう。
この翻訳は訳者所蔵の一八八六年ロングマンズ、グリーン社発行の初版本に拠ってなした。この書は同年発行の後の版を蔵しておられる市河博士の折紙付きで、その見返しの裏に鉛筆で書き込んであるように、今日ではあるいは[#「あるいは」に傍点][#ここから横組み]“first edition, scarce”[#ここで横組み終わり](初版、稀覯」)の書の部類の片隅に入るかも知れない。薄茶色のクロース表紙の本である。しかし、後に改版の際に多少改訂された個所は、大体その訂正を採った。
訳文中に傍点[#「傍点」に傍点]を付してある部分は、原文において強調の意味を以て斜体活字《イタリック》で印刷されている語であり、圏点[#「圏点」に丸傍点]を付してあるのは、同じく強調の意味で頭文字だけで印刷されている語である。
ジーキル(またはジェキルとも発音されるか)のジにヂを用いないのは、ディの音がわが国ではラジ[#「ジ」に傍点]オの如く屡々ヂと発音され且つ書かれるので、それと区別するためである。エドワー[#「ー」に傍点]ド、リチャー[#「ー」に傍点]ド等の発音はわが国における従来の慣用に従った。
訳文中の数個の語句について巻末に簡単な注を付したが、注は一々読まれなくても差支えない。
尚、この原作が献ぜられているキャサリン・ディ・マットス夫人は作者の従妹であって、献詩のヒースの生い茂り風吹き荒ぶ北国は彼等の故郷スコットランドをさすのである。
一九四〇年十一月[#地から2字上げ]佐々木直次郎
底本:「ジーキル博士とハイド氏」新潮文庫、新潮社
1950(昭和25)年11月25日発行
1962(昭和37)年8月10日24刷
※「捜」と「搜」の混在は、底本通りです。
入力:kompass
校正:松永正敏
2007年2月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全38ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
スティーブンソン ロバート・ルイス の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング