ごと》くに撓《しな》つた、と思《おも》ふと、上《うへ》へ絞《しぼ》つた絲《いと》が眞直《まつすぐ》に伸《の》びて、するりと水《みづ》の空《そら》へ掛《かゝ》つた鯉《こひ》が――」
――理學士《りがくし》は言掛《いひか》けて、私《わたし》の顏《かほ》を視《み》て、而《そ》して四邊《あたり》を見《み》た。恁《か》うした店《みせ》の端近《はしぢか》は、奧《おく》より、二階《にかい》より、却《かへ》つて椅子《いす》は閑《しづか》であつた――
「鯉《こひ》は、其《それ》は鯉《こひ》でせう。が、玉《たま》のやうな眞白《まつしろ》な、あの森《もり》を背景《はいけい》にして、宙《ちう》に浮《う》いたのが、すつと合《あは》せた白脛《しろはぎ》を流《なが》す……凡《およ》そ人形《にんぎやう》ぐらゐな白身《はくしん》の女子《ぢよし》の姿《すがた》です。釣《つ》られたのぢやありません。釣針《つりばり》をね、恁《か》う、兩手《りやうて》で抱《だ》いた形《かたち》。
御覽《ごらん》なさい。釣濟《つりす》ました當《たう》の美人《びじん》が、釣棹《つりざを》を突離《つきはな》して、柳《やなぎ》の根《ね》へ靄《もや》を枕《まくら》に横倒《よこだふ》しに成《な》つたが疾《はや》いか、起《おき》るが否《いな》や、三|人《にん》ともに手鞠《てまり》のやうに衝《つ》と遁《に》げた。が、遁《に》げるのが、其《そ》の靄《もや》を踏《ふ》むのです。鈍《どん》な、はずみの無《な》い、崩《くづ》れる綿《わた》を踏越《ふみこ》し踏越《ふみこ》しするやうに、褄《つま》が縺《もつ》れる、裳《もすそ》が亂《みだ》れる……其《それ》が、やゝ少時《しばらく》の間《あひだ》見《み》えました。
其《そ》の後《あと》から、茶店《ちやみせ》の婆《ばあ》さんが手《て》を泳《およ》がせて、此《これ》も走《はし》る……
一體《いつたい》あの邊《へん》には、自動車《じどうしや》か何《なに》かで、美人《びじん》が一日《いちにち》がけと云《い》ふ遊山宿《ゆさんやど》、乃至《ないし》、温泉《をんせん》のやうなものでも有《あ》るのか、何《ど》うか、其《そ》の後《ご》まだ尋《たづ》ねて見《み》ません。其《それ》が有《あ》ればですが、それにした處《ところ》で、近所《きんじよ》の遊山宿《ゆさんやど》へ來《き》て居《ゐ》たのが、此《こ》の沼《ぬま》へ來
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