ちど》手《て》を取《と》つて、」
戞然《からり》と、どき/\した小刀《こがたな》を投出《なげだ》す。
「其《そ》のお心《こゝろ》の失《う》せない内《うち》、早《はや》く小刀《こがたな》をお取《と》りなさいまし。……そんな事《こと》をおつしやつて、奥様《おくさま》は、今《いま》何《ど》うして居《ゐ》らつしやいます。」
それを聞《き》くや、
「わつ、」と泣《な》いて、雪枝《ゆきえ》は横様《よこざま》に縋《すが》りついた、胸《むね》を突伏《つゝふ》せて、唯《たゞ》戦《おのゝ》く……
徐《やを》ら、其《そ》の背《せ》を、姉《あね》がするやう掻撫《かいな》でながら、
「恁《か》う成《な》るのが定《さだ》まり事《ごと》、……人《ひと》の運《うん》は一《ひと》つづゝ天《てん》の星《ほし》に宿《やど》ると言《い》ひます。其《それ》と同《おな》じに日本国中《にほんこくちゆう》、何処《どこ》ともなう、或年《あるとし》或月《あるつき》或日《あるひ》に、其《そ》の人《ひと》が行逢《ゆきあ》はす、山《やま》にも野《の》にも、水《みづ》にも樹《き》にも、草《くさ》にも石《いし》にも、橋《はし》にも家《いへ》にも、前《まへ》から定《さだ》まる運《うん》があつて、花《はな》ならば、花《はな》、蝶《てふ》ならば、蝶《てふ》、雲《くも》ならば、雲《くも》に、美《うつく》しくも凄《すご》くも寂《さび》しうも彩色《さいしき》されて描《か》いてある…手《て》を取合《とりあ》ふて睦《むつ》み合《あ》ふて、もの言《い》つて、二人《ふたり》居《ゐ》られる身《み》ではない。
唯《たゞ》形《かたち》ばかり、何時《いつ》何処《いづく》でも、貴方《あなた》が思《おも》ふ時《とき》、其処《そこ》に居《ゐ》る、念《ねん》ずる時《とき》直《す》ぐに逢《あ》へます、お呼《よ》び遊《あそ》ばせば参《まゐ》られます。
早《は》や、小刀《こがたな》を……、小刀《こがたな》を……、」
「帰命頂礼《きみやうてうらい》、南無不可思議《なむふかしぎ》、帰命頂礼《きみやうてうらい》、南無不可思議《なむふかしぎ》。」
と唱《とな》へながら、老爺《ぢい》が拾《ひろ》つて渡《わた》した時《とき》、雪枝《ゆきえ》は犇《ひし》と小刀《こがたな》を取《と》つた。
「一刀一拝《いつたういつぱい》、拝《をが》め、頼《たの》め、念《ねん》じて、念《ねん》じて、」
と励《はげ》まし教《をし》うるが如《ごと》くに老爺《ぢい》が言《い》ふ。
「姫《ひめ》、姫《ひめ》、」
と勇《いさ》ましく、
「疵《きづ》を附《つ》けたら、私《わたし》も死《し》ぬ。」
と熟《じつ》と見《み》て、小刀《こがたな》を取直《とりなほ》した。
美女《たをやめ》の姿《すがた》ありのまゝ、木彫《きぼり》の像《ざう》と成《な》つた時《とき》、膝《ひざ》に取《と》つて、雪枝《ゆきえ》は犇《ひし》と抱締《だきし》めて離《はな》し得《え》なんだ。
老爺《ぢい》が其《そ》の手《て》を曳《ひ》いて起《お》こして、さて、かはる/″\負《お》ひもし、抱《だ》きもして、嶮岨《けんそ》難処《なんしよ》を引返《ひきかへ》す。と二時《ふたとき》が程《ほど》に着《つ》いた双六谷《すごろくだに》を、城址《しろあと》までに、一夜《ひとよ》、山中《さんちゆう》に野宿《のじゆく》した。
其《そ》の夜《よ》の星《ほし》の美《うつく》しさ。
中《なか》にも山《やま》の端《は》に近《ちか》いのが、美女《たをやめ》の像《ざう》の額《ひたひ》を飾《かざ》つて輝《かゞや》いたのである。
翌朝《あけのあさ》、棟《むね》の雲《くも》の切《き》れ間《ま》を仰《あふ》いで、勇《いさ》ましく天守《てんしゆ》に昇《のぼ》ると、四階目《しかいめ》を上切《のぼりき》つた、五階《ごかい》の口《くち》で、フト暗《くら》い中《なか》に、金色《こんじき》の光《ひかり》を放《はな》つ、爛々《らん/\》たる眼《まなこ》を見《み》た、
一|目《め》見《み》て、
「やあ、祖父殿《おんぢいどん》が、」
と老爺《ぢい》が叫《さけ》ぶ、……其《それ》なるは、黄金《こがね》の鯱《しやち》の頭《かしら》に似《に》た、一個《いつこ》青面《せいめん》の獅子《しゝ》の頭《かしら》、活《い》けるが如《ごと》き木彫《きぼり》の名作《めいさく》。櫓《やぐら》を圧《あつ》して、のつしとあり。角《つの》も、牙《きば》も、双六谷《すごろくだに》の黒雲《くろくも》の中《なか》に見《み》た、其《それ》であつた。……
祖父《おほぢ》の作《さく》に、久《ひさ》しぶりの話《はなし》がある、と美女《たをやめ》の像《ざう》を受取《うけと》つて、老爺《ぢい》は天守《てんしゆ》に胡座《あぐら》して後《あと》に残《のこ》つた。時《とき》に、祖父《おほぢ》が我
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