と思つて四十五銭と云ふ紅入《べにいり》のを一|掛《かけ》買つたが、外にも何か買はせようとする熱誠《ねつせい》と云ふものが主人と小僧さんの顔に満ちて居るので、気が弱くなつて鼠地に蝶燕《てふつばめ》の模様のある襟を私のに買つた。腹立だしい気がした。平出さんへ寄つた。煙草《たばこ》が欲《ほ》しいと云つたらエンチヤンテレスはないと笑はれた。私のために送別会をしてくれないやうに、着て出る着物がないから今からお頼みして置くのだと私は云つた。昨日《きのふ》も平野君がその話をして綺麗な自動車にあなたを載せて街を皆で歩かうかなどゝ云つて居たと平出さんは云つた。玉川堂《ぎよくせんだう》で短冊を買つて帰つた。子供等は持つて帰つた林檎をおいしさうに食べるのであつたが、私は一|片《き》れも食べる気がしなかつた。夕飯《ゆふはん》の時に阪本さんが来た。留守の間に浅草の川上さんのお使《つかひ》が見えたさうである。
八日
昨夜《きのふ》は雅子さんの夢を見た。雅子さんに手紙を書かうかなどゝ朝の床《とこ》の中では考へた。川上さんの女の書生さんが見え、吉小神《きこがみ》さんが来た。昨日の続きの仕事をして居たが昼頃から少し頭痛がし出した。湯にでも入《はい》つて来ようと思つて、七瀬と八峰を伴《つ》れて湯屋へ行つた。帰つて来て髪を解いたがいよいよ頭痛が烈《はげ》しくなつて身体《からだ》の節々も痛くてならなくなつて来た。修《しう》さんが来て短冊を欲《ほ》しいと云ふので五枚書いて渡した。来月の末に加藤大使が英国へ帰任するのにシベリヤ鉄道で行《ゆ》くから、同行を頼んでやらうかと役所で云つてくれた人があつたが、船に決めたと云つて断つたと聞いて私は残念でならなかつた。新潮社の中村さんが来た。何度逢つても例のやうな私には覚える事の出来憎い顔であるなどと話しながら思つて居た。夕飯《ゆふはん》を味噌漬の太刀魚《さんま》で食べた。光《みつ》が煮しめばかり食べて魚《うを》を余り食べなかつたからソツプを飲ませた。玄関の土間の暗くなつた頃に平野さんが来た。これから暁星の夜学に行《ゆ》くのだと云つて[#「云つて」は底本では「行つて」]腰を掛けた儘で話した。先刻聞いた加藤大使の話をすると、さうして汽車に乗つて行つたら好《い》い。免状なんか書き替へて貰へば好《い》いと例の調子で云つてくれた。然しその話が外《ほか》から来たのではなし、汽車
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