綺麗な綺麗な人ね、母様《かあさん》。』
 こんな問答を七瀬とした。夕飯《ゆふはん》を済ませて明るいうちに床《とこ》を敷いてしまつた。麟に狐の子供と鳩ぽつぽのお伽噺をして聞かせた。金尾さんが来た。蒲原《かんばら》さんへ行つた帰りださうである。道に迷つて線路の上の脆《もろ》い土の所で落ちようとした時汽車が通つた。浅草の観音様の守つて下すつたのだなどゝ云ふ話をするのであつた。江南さんと秋子さんが来た。結婚届に印を押してくれと云ふことだつたから、良人《をつと》の名や生月《せいげつ》を書いて印を押した。原籍地には大字《おほあざ》から小字《こあざ》まであるのであるから私が覚えて居る筈もない。書附《かきつけ》を見ながら書いたのである。三人が帰ると急に寒い気がしだした。服部|嘉香《よしか》さんへ書く返事を明日《あす》に延《のば》して寝た。
 十二日
 良人《をつと》の手紙が着いた。船に乗る事は万一の時の事にして必ず汽車で来るようにとまた書いて来た。夏の日に熱帯地を通るのは困難でもあらうが顔色が黒くなるだらうと私はそんな事も厭に思つて居る。午後|生田《いくた》さんが見えた。煙草《たばこ》のいろいろあるのを私と同じ程面白がつて飲んで下すつた。良人《をつと》の異父兄の大都城《だいとじやう》さんが修《しう》さんと一緒に来た。二階へ上《あが》つた時今度空いた向ひの小《ちひさ》い家へ移ることを修さんに諷《ふう》された。古尾谷さんに教へて貰つたが今日《けふ》はよく覚えられた。



底本:「文章世界」博文館
   1912(明治45)年4月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※底本の総ルビを、パラルビにあらためました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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