要だとは考へられない。塀は邸の境を分つだけに役立てばよいから、自由に内外の見通せる鉄柵か石の金剛柵《こんがうさく》かを設けて置けば十分である。欧洲では帝王の家までがバツキンガム宮、※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルサイユ宮のやうに鉄柵の間から自由に覗かれるやうに造られて居る。維納の宮殿などは全く開放的で、其中を民衆が自由に馬車や自動車を駆つて横断して居る。私は靖国神社のやうな国民の崇拝的記念建築がなつかしくない排他的な重苦しい塀で掩護されて居るのを見ると、折々一種の不快を覚えるのである。
 若し私の家も隣の塀が清楚な鉄柵か石の柵であつたら風通しが好くなるであらう。風と日光とが好く通れば隣の庭に藪蚊が発生して私の家族を悩ませることも減じるであらう。また鉄柵の間から隣の立派な庭が覗かれて、どんなに私達の目と心とを爽かにするであらう。偶には双方の家族が塀越しに微笑と挨拶とを交換して隣同志の人情を流露し合ふ機会も生じるであらう。少くとも隣の犬が私達の顔を見知つて夜中に吠えたりすることが無くなるであらう。
 一体に貴族や富豪で宏大な庭園や、立派な建築や、珍しい沢山の美術品やを所有して居る家は出来るだけ開放して公衆の縦覧を許すやうにして欲しいものである。巴里の大美術商ジユラン・リユイル氏が毎週に一度その寝室までを公開して所蔵の印象派以後の諸大家の絵を縦覧させて居るやうなことは、完全な公設美術館の無い我国では殊に必要であり、有益であると思ふ。例へば私達は日本式の庭園術が特色を持つて居ることを書物の上で知つて居ても、京都の桂の離宮や二条離宮を拝観しない以上、有名な小堀遠州の庭園術を実際に鑑賞することは出来ない。かう云ふ遺憾は日本の各時代と各流派とを代表する美術品に就いても常に感じることである。私は紀州の徳川侯が南葵文庫を公開されたり、尾張の徳川侯が有名な源氏物語絵巻其他の貴重な美術品を先頃一部の人達に一日の縦覧を許されたりしたやうなことが続々行れて欲しいと思つて居る。今の若い芸術家は自分の国の芸術を知らないと云はれるが、知らうにも知る機会が非常に乏しいのである。私の知つて居る若い文人で木下杢太郎さん程日本の芸術に該博な知識を持つて居る人は無いと思はれるが、木下さんが其れまでに蘊蓄されるには非常な注意と時間とを費されたことであらう。巴里のルウヴル宮やリユクサンブルの美術館のやう
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