妻に臨みますから家庭はかえって円滑に治らないのだと存じます。もし妻が対等の位地からこれと同様な事を夫に強いて、今の教育は自分の趣味と合わぬから教育家たる事を止めて欲しいと申したならば、三輪田学士は直ぐに快く妻の心に迎合して教師生活を捨てられるでしょうか。夫婦が対等の位地で互に尊敬し自然に相和して行かれるような立派な道徳の上に家庭を作る事を教えないのは未開野蛮の遺風です。
この先生はまた趣味をば捨てられるもののように思っていられます。趣味というものが好《よ》く解っておらぬためでしょうが、これは辞表を出してしまえば倫理の先生が明日から帳場に坐《すわ》れるといったようなものではありません。学問でも芸術でも宗教でも恋愛でも、それが人格と同化してしまって、芸術が自分か、自分が芸術か分らぬほど面白くなれば、それらの各々《おのおの》の趣味が最も高い程度に達しているものだと私は心得ます。既に人格と全く一緒になっておる趣味がどうして捨て得られましょう。それから趣味が人格を形造《かたちづく》るほどに高くなれば、甲と乙と趣味の種類が違っていても双方互にその趣味を尊敬し合うようになってその間に調和が出来るものです。それが夫婦の場合ならば必ずその趣味に由《よっ》て相和して行かれるものだと、私は自分の経験から堅く信じております。もし世評のように環女史と藤井氏との離婚が趣味の相違に原因しておりますならば、両氏の趣味が其処まで高くなかったか、あるいは両氏のどちらかに趣味が欠けていたのであろうと想います。言換《いいかえ》れば両氏の人格の修養が不完全であったのでしょう。人格の相違は女を良人が屈従させ得た時代ならば知らぬ事、多少でも教育を受けた今日の男女間では離婚の結果に立ちいたるのが至当《あたりまえ》であろうと存じます。これはつまり結婚前の選択が粗漏であって双方の人格を尊重し合わなかったのが悪いので、それはまた今の教育が単に学校を卒業した男子と、時世遅れの良妻賢母主義に合う女子とを作る事にのみ急で、肝腎《かんじん》の「人格を完備した男女」を作る事を忘れ、人格を尊重し合うべき事を息子《むすこ》のため娘のために教えて置かぬ罪に帰せねばなりません。
この問題について男の教育家は揃《そろ》いも揃って「夫唱婦和」主義で環女史を批難していられるのに、東洋婦人会長の清藤秋子《きよふじあきこ》女史はなかなか面白い事をいわれました。「男の方《かた》に自由選択の権利ある現在の状態では夫婦になって始めてその妻に不満を抱《いだ》きこれを虐待するなどという事は、取《とり》も直さず自分を辱《はずか》しめるものではありませんか。」これは尤もな御説だと存じます。如何にも一般の家庭では男子の権利がまだ偏《かたよ》って強い今日、男が微弱な妻を圧服する事は容易でありそうなものですのに、妻に逃《にげ》を打たれるというのは男の敗北として恥ずべき一大事でしょう。藤井軍医正の場合は陸軍と音楽との衝突でなく、陸軍が女に負けたとも申すべきでありませんか。
秋子女史はまた「某実業家は常常子弟に向い、世に処して成功しようと思うには女房に惚《ほ》れなくては不可《いか》んと言われたそうですが、誠に味《あじわ》うべき言葉で、気に食わぬ点はなるべく寛大に見て、自分の妻以外世間に女はないというほどに取扱ってこそ家庭は円満に参るものだろうかと存じます」といわれました。これは反対に男を柔順にして妻に服従させようという意気込が見えて、女史の内心を包まず語られたのが気持の宜しい事です。しかし男子の非道に反抗してこういう逆襲の態度に出《い》でる事は暴を以て相酬《あいむく》いるので、本本《もともと》互に謙遜し、互に尊敬し協和して男女各自の天分を全くすべき真理に悖《もとっ》ておりますから、一方を服従させようというのでなく、服従するなら互に真理の前に服従し得《う》る立派な人格を養って後に結婚するのが大切でしょう。
離婚は悲しむべき事で或場合には罪悪と名《なづ》けても可《よ》いと考えますが、また或場合には罪悪から逃《のが》れる正当な手段と見る事も出来ますから、十分その真相を調べた上でなければ是非の判断は困《むずか》しい。現に藤井女史の離婚は新聞紙の報道や教育家諸先生の御意見だけを伺ったのでは何とも申しかねます。これは近頃|専《もっぱ》ら事実を尊ばれる小説家の微妙な観察に由《よっ》て委《くわ》しく描写して戴《いただ》いたならば明白になるかも知れません。藤井氏の場合に限らず、離婚という面白からぬ事件はこの後|追追《おいおい》殖《ふ》えて行くでしょう。学校教育と家庭とが全き人間を作る事を忘れて、畸形《かたわ》な賢母良妻主義や夫唱婦和説を固守している間はやむをえない現象だと存じます。
三輪田学士はまた「環女史の離婚は何か女史の方から進んで請求したように伝えられてあるが、果して然《しか》りとすれば飛《とん》でもない心得違である」といわれましたが、これは弘化《こうか》年度に生れて今まで存在《ながらえ》ている老人《としより》の言草《いいぐさ》のように聞えます。離婚は講和《こうわ》でなく戦争です。宣戦の布告を先に出すという事は双方の自由であって、先に出した方が勝利に帰する例も少くない如く、離婚の場合にも都合の好い事かも知れません。離婚は笑って出来る事でなく互に気拙《きまず》くなって致す事ですから、既に離婚せねばならぬ状態に立到った以上その場合にまで夫唱婦和を強いるのは実際の人情に通ぜぬ迂濶《うかつ》な御考です。昔の歴史を見ましても后《きさき》の方から御離別を申し出《い》でられた例《ためし》はしばしば御座いますけれど、それが御歴代の御聖徳に影響しているとは思われません。石之姫《いわのひめ》が筒木宮《つつきのみや》に怒《おこ》って籠《こも》られ、帝《みかど》をして手を合さんばかりに詫言《わびごと》を申さしめ給いし例などは随分|烈《はげ》しい事ですが、それが仁徳《にんとく》帝の御徳を煩《わずらわ》しているでもなく、帝は現に今の教育家の倫理の御本尊になっておられます。かような手続の前後《あとさき》にまで目角《めかど》を立てられる教育家の不心得の方がよほど怪《け》しからん事かと存じます。枝葉の事を弥聒《やかま》しくいわれるよりは、忌《いま》わしい離婚沙汰などを出《いだ》さぬように今の教育を根本から改めて、自《おのずか》ら夫婦相和して行かれる完全な人格を作る事を心掛け、教育家自身の迂濶と怠慢とを鞭撻《べんたつ》せらるるように希望致します。
今の家庭や学校教育が頼みにならぬとすれば、若い女子自身が各々自分の「娘」時代を尊重して我手で立派な人格を修養せられる事が何より大切な急務だと思います。浅薄《あさはか》な表面《うわべ》の装飾や衒《てら》いでなく、全人格を挙げて立派に装飾し、それを女子の誇とするように力《つと》めねばなりません。美しい衣服を著るにも、読書をするにも、文学や美術を嗜《たしな》むにも、常に立派な娘に成る、完全な人間に成るという心掛が必要です。かような自尊自負の心ある女子が軽軽しく他の誘惑に陥る訳もなく、離婚沙汰を惹起《ひきおこ》すような結婚を致す訳もなく、社交や処世において不都合を仕出かす訳もなく、夫に対しては貞淑な妻、子に対しては賢明な母と成り得るに違いありません。『更級日記《さらしなにっき》』の著者は、東国の田舎《いなか》にいた娘の時代から文学書を読んで、どうか女に生れた上は『源氏物語』の夕顔《ゆうがお》や浮舟《うきふね》のような美しい女になって少時《しばらく》でも光源氏《ひかるげんじ》のような情《なさけ》ある男に思われたいと、専らその心掛で身を修め、終《つい》に都に上《のぼ》って『狭衣《さごろも》』の如き小説を書くに到りました。今の若い女子にこれ位の自負もないのは口惜しゅう御座います。光源氏の恋人になろうと申すのと、拙《つたな》い絵や音楽に騙《だまさ》れて、沢山の女学生や夫人までが輒《たやす》く電小僧《いなずまこぞう》の情婦になるのとは大変な相違です。
[#下げて、地より1字あきで](『東京二六新聞』一九〇九年四月八―一一日)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「一隅より」金尾文淵堂
1911(明治44)年7月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年1月10日公開
2003年5月18日修正
青空文庫ファイル:
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