ら進んで請求したように伝えられてあるが、果して然《しか》りとすれば飛《とん》でもない心得違である」といわれましたが、これは弘化《こうか》年度に生れて今まで存在《ながらえ》ている老人《としより》の言草《いいぐさ》のように聞えます。離婚は講和《こうわ》でなく戦争です。宣戦の布告を先に出すという事は双方の自由であって、先に出した方が勝利に帰する例も少くない如く、離婚の場合にも都合の好い事かも知れません。離婚は笑って出来る事でなく互に気拙《きまず》くなって致す事ですから、既に離婚せねばならぬ状態に立到った以上その場合にまで夫唱婦和を強いるのは実際の人情に通ぜぬ迂濶《うかつ》な御考です。昔の歴史を見ましても后《きさき》の方から御離別を申し出《い》でられた例《ためし》はしばしば御座いますけれど、それが御歴代の御聖徳に影響しているとは思われません。石之姫《いわのひめ》が筒木宮《つつきのみや》に怒《おこ》って籠《こも》られ、帝《みかど》をして手を合さんばかりに詫言《わびごと》を申さしめ給いし例などは随分|烈《はげ》しい事ですが、それが仁徳《にんとく》帝の御徳を煩《わずらわ》しているでもなく、帝は現に今の教育家の倫理の御本尊になっておられます。かような手続の前後《あとさき》にまで目角《めかど》を立てられる教育家の不心得の方がよほど怪《け》しからん事かと存じます。枝葉の事を弥聒《やかま》しくいわれるよりは、忌《いま》わしい離婚沙汰などを出《いだ》さぬように今の教育を根本から改めて、自《おのずか》ら夫婦相和して行かれる完全な人格を作る事を心掛け、教育家自身の迂濶と怠慢とを鞭撻《べんたつ》せらるるように希望致します。
今の家庭や学校教育が頼みにならぬとすれば、若い女子自身が各々自分の「娘」時代を尊重して我手で立派な人格を修養せられる事が何より大切な急務だと思います。浅薄《あさはか》な表面《うわべ》の装飾や衒《てら》いでなく、全人格を挙げて立派に装飾し、それを女子の誇とするように力《つと》めねばなりません。美しい衣服を著るにも、読書をするにも、文学や美術を嗜《たしな》むにも、常に立派な娘に成る、完全な人間に成るという心掛が必要です。かような自尊自負の心ある女子が軽軽しく他の誘惑に陥る訳もなく、離婚沙汰を惹起《ひきおこ》すような結婚を致す訳もなく、社交や処世において不都合を仕出かす訳もな
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