以上の最も大切な或物を示されないからです。また、その活動の外に、それ以上の最も大切な或物を直接の目的とした活動を全く示されないからです。

       *

 私の言う「最も大切な或物」とは何でしょうか。一言にして言えば生活の理想です。言い換れば、それらの活動は唯だ目前の物質生活の利害のみを眼中に置いています。最も大切な文化生活の理想に照して、その価値を批判することが閑却されています。活動とはいえ、その実際は妄動に等しいものです。行き着く港を定めずに、激変しつつある時勢の荒浪の中に、無方針の航海を続けているのです。それらの指導者側の婦人たちは、私たちに対して自覚を叫ばれ、内省を奨《すす》められるのですが、私たちから見れば、自覚といい内省ということが何よりも「我々の生活の理想は如何《いかん》」という第一義的なことに向けられねばならないことを、かえってそれらの婦人たちは失念しておられるように思われます。
 すべての活動は、それが文化価値実現の過程に役立つと否とに由って私たちの生活の内容となることが出来ます。文化生活の理想に由って批判されず精錬されない行為は、無駄と錯誤とが多く、中には反対に文化生活の創造を妨害するものさえあります。今後の生活が個人各自の自覚の上に立つ生活であらねばならぬというのは、この点に自覚することをいうのだと思います。

       *

 私は少しく具体的に述べてそれらの先輩婦人たちに抗議します。指導者側のそれらの婦人たちの中の或人たちが、経済的労働を私たち婦人に奨励されるのを見ると、その目的が利殖の外に出でず、その方法が振売《ふりうり》商人の暴利を狙《ねら》う不正手段と大差のないものであるのに呆《あき》れます。例えば二円の資本で水菓子を工場の労働者に売って、一時間ほどの中に一円の純益を挙げるというような事を、得意になって私たちに教えられるのです。それは文化主義の理想と相容れない経済上の専制思想――即ち資本主義の思想であることに、その指導者が全く自覚を欠いておられることだと思います。
 また或人たちが各種にわたる家庭の内職を紹介して婦人や小児に奨励されるのを見ると、その労銀の余りに低いことや、その仕事の余りに人間を過労させることや、殊に幼年期の子女までを昼夜にわたって時間の制限もなく座職の中に虐使することやについて、経済的、倫理的、人道的の顧慮
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