その遺伝質が決定されるものでなく、その人の自覚及び努力と、境遇の変化とで、どんなに新しい意外な能力が突発し成長するかも知れません。ラジウムと飛行機との発明を見ただけでも、過去において予測しなかった創造能力を現代人が発揮したことに驚かれます。殊に女子はいまだ開かれざる宝庫です。過去において、その自我発展を沮止《そし》されていただけに、男子本位の文化生活に見ることの出来なかった特異な貢献を齎《もたら》すかも知れません。今日のように非戦論が勢力を持つ時代となっては、男子の腕力に代って、女子の心臓の力が大に役立つことになって行くでしょう。それはいずれにもせよ、私は実にこの新理想的見地から、旧式な良妻賢母主義にも、新しい良妻賢母主義――即ち母性中心主義――にも賛成しない者です。
 誤解されないためにいって置きますが、これまでからも私の述べている通り、私は妻たり母たることを決して軽視している者ではなく、私が私の理想の下に行おうとする一切の事は、それが私の自我発展の具体事実としてすべて尊重し、すべて出来る限りの熱愛と、聡明な批判と、慎重な用意とを以てこれを取扱いたいと祈っています。人間の事項には殆ど同時に為し得るものと、為し得ないものと、志が余っていながら境遇その他の事情の許さないものとありますから、おのずから本末前後の関係は生じるのですが、しかしその関係は流動的のものであって、私には固定的に見ることが出来ません。例えば、私自身が大病を煩《わずら》っている場合に、私は先ずその病気を治療することに私の生活の重点を置いて、その他の事はその重点を繞《めぐ》って遠景的に暈影《うんえい》を作るでしょう。数年前に亡くなった友人のH氏は、粟粒《ぞくりゅう》結核菌が大脳を冒して残酷な疼痛《とうつう》を起した時、看護していた奥さんがお子さんの事について何か相談されると、氏は悲痛な声を出して「今は子供のことなんか考えていられない。そんな場合でない。自分の苦痛で俺《おれ》は一ぱいだ。子供には健康がある」といわれました。そうしてH氏は二週間もその苦痛を続けた後に歿《ぼっ》せられたのですが、病院へ見舞に行き合せて氏のその悲痛な言葉を聞いた良人と私とは、一つの厳粛な人間的教訓をH氏から受けたということを感じました。人生はこういう突き詰めた所まで考えねば真剣であるとはいわれないかと思います。親として最愛の子供
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