合理はこの点にあります。それは百五十万乃至三百万人の有産階級のみが特権的に壟断《ろうだん》する政治であって、国民全体の政治とは如何にしてもいわれないのです。代議政治の美名を僭《せん》した財閥的専制政治と呼ぶのが至当です。
明治年間に藩閥、軍閥、財閥、学閥というようなものが特別に国家に役立った場合もあったでしょうから、それらの者が特権階級として国家の恩典や優遇を受けたのには多少の理由もあったかと想像されますが、今日は国民の知識が進んで、国民としての責任が個人個人に自覚されつつあるのですから、財産の有無を以て国民の創造能力を測定することは乱暴だと思います。
されば普通選挙の可否は、あらゆる生活の体系が民主主義化して行く今日において、もう少しも議論の余地のない問題です。先覚者たちがこれを主張して我々国民の蒙を啓《ひら》かれるのを聴く我々は、最も識別しやすいこの問題について、正当な批判を下し、これを更に我々自身の要求として国家に提出するのが至当だと思います。
しかし私たち婦人の立場から考えて、なお最も大切な条件が一つ残っています。現に我国の先覚者たちに依って唱えられている普通選挙には、国民全体という中に私たち婦人の存在を無視しています。民主主義は男子ばかりの生活に適用されるものと限りません。文化生活に対する平等の権利は婦人にも分配されるべきものだと思います。否、それは婦人においても男子と同じく固より享得している権利です。唯だ私たちはその権利の回復を要求すれば好いのだと思います。
民主主義の世界には男尊女卑主義の道徳は許されません。国民としての存在に男子と婦人との優劣を認める時代は過ぎ去りました。国家に奉仕する義務の負担者として、愛国者として、創造能力を保有する個人として、婦人の分担する所は男子と全く平等の位地にあります。
普通選挙といえば、当然そのうちに男女の参政権が含まれているものと私は考えたいのです。この権利の要求から婦人を除外することは、婦人を非国民扱いにし、低能扱いにするものだと思います。決して徹底した普通選挙とはいわれません。もし男子のみに限られた普通選挙が実施されるとすれば、選挙有権者は――二十五歳以上の男子として――千二百八十三万九千六十二人を数え、現在の有権者数に比べると非常に増加するに違いありませんが、これに二十五歳以上の婦人を加えることが出来
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