に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。
 或一事を行う度に生活の中心がその一事に移動して焦点を作り、他の万事は縁暈《えんうん》としてそれを囲繞《いじょう》している。こうして人間性が無限無数にその中心を新しく変えて行けばこそ人間の生活が活気を帯び、機勢《はずみ》を生じ、昨日に異った意義と価値を創造して進むことが出来る。これが人間生活の堅実な状態である。そうして人間にはこれと齟齬《そご》する病的な状態がある。即ち物を食べていながらこの事に熱中しがたくて食べている物の味を享楽することが出来ないような状態である。何事も沈滞していて中心となるまでに焦点を作らない状態である。それが人間の根本欲求と分裂している病的な状態であることは人間がその状態に満足しないのみか、それを不純、怠惰、卑怯、姑息、頽廃、堕落というような自覚を以て自ら憎悪し、自ら愧《は》じ、自ら苦《くるし》み、自ら出来るだけそれを脱しようとして焦燥《あせ》るので明かである。
 今一つの病的な状態がある。しばしば無用または有害な或一事に生活の中心が集まりやすいことである。例えば女が低級な名誉心――栄誉心――を中心として常に行動するような場合は決してそれが女自身の上に真実の幸福を持ち来《きた》さない。かえって女自身の生活を人間の根本欲求に反して不幸に導くものである。こういう場合には人間の本務を標準としてその悪性な中心要素を批判し、それを一掃して、他の必要有益な中心要素の起伏する堅実な生活状態に就《つ》かねばならない。
 私は母となった時に初めて母としての実際生活が私の上に新しく創造されて来たのを経験した。そうして自分の子供を育てることに私の注意が集る度ごとに其処に母性が私の生活の中心要素となり、私の自我の全部を統率しているのを経験した。私の子供が私の外になくて私の自我の中に愛を以て抱かれているのを明かに見た。全く私の子供は私の内に浸透して不可分の関係になっている。私は私のように子供のある女に取って母性が重要なものであることを、子供を持つ他の婦人たちと共に実感することが出来た。
 しかし私が母となったことは決して絶対的ではなかった。子供の母となった後にも、私は或一人の男の妻であり、或人人の友であり、世界人類の一人であり、日本臣民の一人で
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