《ごと》に女が賣りに來る。私の机の上にも古い鑵に水を入れて差された鈴蘭の花があつた。乘客係が來て莫斯科から連絡する巴里《パリイ》迄の二等車の寢臺が賣切れたから一等許りのノオルド・エキスプレスに乘つては何うかと云つた。八十圓増して出せば好いと云ふのである。露貨《ろくわ》は其樣《そんな》に持たない、佛貨《ふつくわ》を交《ま》ぜたら有るかも知れぬと云ふと、其でも好いと云ふ。兎に角八十圓を出して仕舞ふと、後は途中の食費と小遣いが十圓も殘るや殘らずになるのである。心細い話だと思つて私は考へたが、二等の寢臺車を待つために幾日《いくか》莫斯科に滯在せねば成らぬか知れない樣な事も堪へられないと思つて、結局佛貨で三十九圓六十錢出してノオルドの寢臺券を買つた。後四十圓は莫斯科で一等の切符と換る時に出すのだと云ふ事である。男の席はあると云ふので齋藤氏は二等車の寢臺券を買つた。
 川は二三町の幅のあるのも一間二間の小流《こなが》れも皆氷つて居る。積つた雪も其處だけ解けずにあるから、盛上つて痩せた人の靜脈の樣である。七日目《なぬかめ》にまた一人の露西亞女が私の室の客になつた。快活な風でよく話を仕懸ける人である。ウラルを越えていよいよ歐羅巴《ヨオロツパ》へ入つた。山の色も草木の色も目に見えて濃い色彩を帶びて來た。此邊では停車する毎にプラツト・フオオムの賣店へ寶石を買ひに降りる女が大勢ある。私も其店へ一度行つて見た。紫水晶の指の觸れ心地の好い程の大きさのを幾何《いくら》かと聞くと五十圓だと云つた。ロオズ・トツパアス、エメラルドなどが皮の袋の中からざらざらと音を立てて出されるのは、穀類の樣な氣持がする。夜の驛驛に點る黄な灯の色をしたトツパアスもあつた。其驛から巴里の良人《をつと》と莫斯科の石田氏とへ電報を出した。動搖《ゆれ》の烈しい汽車も馴れては此以外に自身の世界が無い樣な氣がして、朝は森に啼いて居る小鳥の聲も長閑《のどか》に聞くのである。ボオル大河の上で初めて飛んで居る燕を見た。木の間に湖が見えて其廻りを圍んだ村などが畫の樣である。露西亞字で書いた驛の名は固《もと》より私に讀まれない。曇色の建物の中に寺の屋根が金に輝いて居るのが悲しい心持を起させる。十六日の夜になつた。翌朝が待遠でならない。何時に起さうかとボオイが聞くので、六時に着くなら五時で好いと云つた。起される迄もない事であると心では可笑《
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