に思はれてならなかつた。熊七がもう着く頃であるとふと気が附いた。十一時半である。松に門の前へ出て見て居てくれと云つた。金尾さんを老人にしたやうな、それよりも痩せて穢い背の屈んだ人だとわたしは云つた。その後で番頭の熊七は絵草紙にある孫悟空に生写しであると妹と云つて笑つた昔の日のことが思ひ出されて微笑まずに居られなかつた。遊びに来て居た女の子達に豆人形を出して分けて持たせて帰すと、わたし等も欲しいと七瀬と八峯が云ふので、三つ持つて帰つた土焼の舞子を佐藤さんの分を一つだけ残して跡を遣つてしまつた。麟が帰つて来た。[#「。」は底本では脱落]もう大丈夫だと云ふことである。松が待ちあぐんで家へ入つて来た後から間もなく熊七は来た。
『小い子が悪くてね。』
顔を見るなりこんなことを云つたのを私はその後で直ぐ後悔した。旧い奉公人の誰も彼も去つた跡の駿河屋に一人残つて居る正直な番頭がたまたま店の休業中に東京を見物しようとして来たのであるから。
『嬢《とう》ちやんだすか、可愛らしいおますな。』
と熊七は二人の女の子を見て云つた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
『お賢うおますな、内ではあまりお子様方を可愛がりはりますので、ようおまへんと心配でな。』
[#ここで字下げ終わり]
とも云つた。江南さんの秋子さんが千代紙を持つて来て下すつた。秋子さんと一緒に昨日別家から貰つて来た焼かまぼこと吸物で昼の食事をした。熊七は風呂場の傍の三畳に入つて此処で結構だと云つて茶の間の火鉢の処へも出て来ない。佐藤さんの人形を秋子さんに見せて居たが、顔が生田さんの奥さんに似て居ることに気が附いた。二時半になつたからお帰りになる秋子さんと一緒に一番町の通まで光と秀の帰つて来るのを迎へに行つた。坂を上つてくる帽の上から見てよく似た子は七八人も違つた子で、やつと後に讓さんと三人連れでわたしの子は坂を上つて来た。
『母さんが居ますよ。』
と珍しさうにも思はない声で秀が兄に知らせて居た。秋子さんと別れた。
『お父さんはもう行つてしまつたの。』
と云ふのを初めにいろいろの質問を私の小い友達はする。船中の事ばかりで京や大阪やわたしの古郷の事などは聞いて呉れさうにもない。
『熊七。』
と大きい声で云つてやつて御覧と道を歩きながらわたしが云つた時光は受合つて居ながら、家へ入ると耻しくなつたと見えて、それで居て云はない
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング