せん。これまでのように代議政治の意義を徹底して知るに到らなかった国民は、候補者の依頼に由って漫然と選挙するだけで、選挙民として何故に選挙するのか、代議士として選挙民の何事を代表するのかを知らず、固《もと》より代議士の政見の如何《いかん》などは選挙民の問題でなく、また代議士は当選さえしてしまえば何の責任をも自分の言動の上に負うのでなく、選挙が済めば、代議士と選挙民とは鷄《にわとり》に孵化《ふか》された家鴨《あひる》の雛《ひな》が水に入って帰らないように、忽《たちま》ちに代議士は権力階級へ、選挙民は屈従階級へと分れて千里の距離を生じ、政治的の関係は全く同じ根から出た葉と花との親密を失ってしまうことが習慣となっていました。
私はこの度の総選挙に国民全体が投票権の尊重すべきことを十分に自覚して、これを機会に立憲国の選挙民たるに愧《は》じないいわゆる神聖選挙の紀元を開かれることを期待しております。欧洲の昔に「愚かなる国民の上には苛《から》き政府あり」という諺《ことわざ》があるといいます。我国には専制的な政府ばかりでなく、暴横無恥な政党までが存在しております。日本人は最早彼らの藩閥と党閥との少数階級に愚弄されてはいられない時機に達していると信じます。
ここに私は重ねて問います。国民は来る四月二十日に如何なる人格を国民自身の代表者として選挙すべきでしょうか。
私は日本人の一人であり、併《あわ》せて日本婦人の一人である立場から、下のような人格の候補者を物色して国民の代表者として頂きたい希望を持っております。私はその候補者が過去において官僚系の人であると、政党系の人であると、両者以外の新しい中立系の人であるとを論じませんが、出来るだけいろいろの知識と経験とを持った選良を集めて衆議院の実質を高めるため、併せて我国諸政党の実質を高めるために、あらゆる階級から候補者の立つことを望みます。従来は余りに農業階級と実業階級と弁護士階級とに偏して選挙されていました、この度の選挙に既に多数の医師の候補者が現れているのはやや不自然の嫌《きらい》はありますが悪《わ》るくない現象であると思います。もっと学者階級、教育者階級、労働者階級、著作家階級等から候補者を歓迎する風潮をも作らねばなりません。
私は皆さんが候補者選択の標準を第一に政見、第二に徳操、全くこの二つに置かれることを望みます。確かな政見を持たず、政見を持っていても、その政見を出来るだけ責任を以て実行しようとする倫理観念の堅固でない人ならば我々国民の代表者として信任することが出来ません。
その政見は鋭敏な直覚と精密な理性を基礎とし、未来にわたる世界の大勢と、国民の知識的、経済的、倫理的現状とに考えて、専ら日本人全体の利害のために国政の本末軽重を取捨し整調する合理的、具体的の意見に富んでいて、しかもそれが選挙民自身の意志を満足せしむる意見でなくてはなりません。政見を以て国民の信任を求めようとしないような候補者は国民の代表者たる資格のない人間であることを徹底して知って置く必要があります。単に名望家であり、財産家であるということや、前大臣、前代議士、前知事、予備将校であるということやは、代議士たる資格として何の必要条件でもありません。何よりもその候補者の政見に思想及び知識の背景があるか、どの点まで世界及び日本の現状に照して実用主義的であるか、その政見は景気の好い一時的の口約束でなくて、あくまでも実行の責任を持った発言であるかを商量することが太切だと思います。
これまでの候補者はしばしば選挙民に媚《こ》び、もしくは選挙民を欺いて、その一地方のためにあるいは鉄道を敷設するとか、あるいは郡役所を移すとかいう直接の利益を計ることを口実としていましたが、国民はそれらの交換問題に由って投票の良心を左右されてはなりません。衆議院議員は日本の国是《こくぜ》を討議するための国民の代表者であって、府県会議員のように一地方の利害問題に局促《きょくそく》たるべきものではありません。そういう口実を信頼して選挙する人は、その神聖な選挙権をみずから侮辱していることに当ります。
多数の候補者の政見はあくまでも選挙民の心の中において批判されることを要します。候補者の意見に盲従したのは在来の愚劣な習慣でありました。今後の政治を賢い立憲政治とするには、選挙民自身が他人の意見や勧誘に雷同し屈従することなく、聡明な個人主義の見地から候補者の意見を批判し、その合理的であることが正しく腑《ふ》に落ちて、自分の要求と共鳴することを発見した上で、初めて自分の代表者たる聖職をその候補者に委任するようにせねばなりません。それでこそ衆議院における代議士の発言は民意の真の代表であり、衆議院の制定した法律と、協賛した歳計予算とは国民自身の責任に帰して遺憾がない訳であると思います。
選挙界の言論を尊重するということは、言論の自由を尊重すると共に、言論の価値を尊重することでなくてはなりません。私はこの度の総選挙に全く黄白《こうはく》の力が駆逐されて言論に由る政見の力が選挙民の良心を感動させることを望む意味から、どの候補者も卓越した政見の発表に努力し、どの選挙民も進んで候補者の政見を傾聴しようと心掛け、口頭の能弁に誤られることなくして、その言論の表示する政見の価値を第一に批判することの習慣を作って欲しいと思います。
そうして、私が特に婦人としての立場から望ましいことは、候補者の徳操の条件の中に、男女道徳の実践について現に非難すべき所のないことを必ず加えて頂きたいと思います。婦人に関する私行の修まらない人は既に個人生活の上に自敬と倫理的調節とを欠如して協同生活の第一歩を誤っている男子です。私はかつて「肉体的の放縦は精神的放縦の象徴です。自分の魂の純正、純浄、純一を愛重し、貫徹しようとする欲望を理性に由って肯定する人に取って、その魂を汚すような肉体的の放縦|猥雑《わいざつ》に堪え得ないことは当然です」といいました。リップスに依《よ》れば、自分の最も近い所から改善し得ない人は倫理的に弱い人だといわれます。この意味から、男女道徳について現に非難すべき所を持っている人は、一国の政治に与《あずか》り、全日本人の生活の改善を討議する代議士の聖職から当然除外さるべきものであろうと考えます。少くともこういう条件を反省して見るまでに選挙界の倫理観念が緊張することを私は祈って置きます。(一九一七年四月)
[#地より1字上げ](『大阪毎日新聞』一九一七年二月二七日―三月四日)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「愛、理性及び勇気」阿蘭陀書房
1917(大正6)年10月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
2003年5月18日修正
青空文庫ファイル:
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