校正をして居るであらう。自動車の音が厭だと云つて※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルサイユの郊外へ隠居したアナトオル・フランス翁と、此春その新劇「忍冬」を巴里で十日間上場して不評に終つた挙句一時大患に罹り、近く新劇「鶏頭」を巴里への面当《つらあて》に羅馬、ミラノ、ゼノア、フィイレンチェの四箇所で同時に上場しようとして居たのに、戦争で当分伊太利へ帰られなくなつたダンヌンチョとは厭な顔をして居るであらう。オペラも芝居も休まずに居るであらうか。ベルンナイムの店で未来派の画家が壮《さか》んな戦争画の会を開いて居るかも知れない。こんな事を良人が云つたので、自分も今頃若し巴里に居たら戦争の事なんか忘れて、リユクサンブルの美術館でロダン翁の作の「鼻の欠けた人」の首でも恍惚《うつとり》と眺めて居るかも知れないと思つた。
昨日までは彼方《あちら》の窓下《まどした》や此方《こちら》の室の隅へ日を避けて、濡手拭で汗を拭き拭き筆を執つて居たが、今日は涼しい代りに何の室も戸が開けられない。雨風の音を聴きながら電燈の附いた書斎で之を書いて居ると、なんだか海の底に坐つて居る気がする。電燈が突然消えた。いくら待つても点《つ》かない。東京の電燈が夏の間だけ昼も点くのは旋風器に送電するからである。今日は涼しくて旋風器の用がないから会社で送電を止めたのであらう。良人は蝋燭を点けて二階へ何か読みに行つた。肴屋が来たと咲が知らせて来た。もう正午前《ひるまえ》になつたのである。自分は戸を細目に開けて其明りで之を書き終つた。
底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
1984(昭和59)年5月25日第1刷発行
1991(平成3)年9月1日第12刷発行
入力:渡邉つよし
校正:浦田伴俊
2000年6月22日作成
2005年1月26日修正
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