のは前代の文明の中から今日にも役に立つ純粋な美点だけを伝えて、其上に今日の生活が生んだ新しい美点を加へようとするので、自然、前代の用語では現代の文明が盛り切れなくなつて、是非とも新しい用語や新しい形式が必要になる。それを覚らない人は不知不識《しらずしらず》現代の生活から孤立して、偏したり、僻んだり、なんでも新しい世態に難癖《なんくせ》を附けたりする保守気質の人になつて仕舞ふ。忠孝道徳や賢母良妻主義の教育やで押通さうとする人などが矢張それである。忠孝も賢母良妻も其必要なことは今の人に取つて解り切つたことである。併し今の人はそれのみでは生活が出来ない、其上に世界の文明と呼吸《いき》の合ふいろんな思想を内容とした生活をして居るから、この現代生活の律動を象徴する標語として忠孝や賢母良妻を応用しようとするのは非常に不十分なのである。
 自分はこんな事を考へながら顔を洗つて、朝の食事を子供等と一所に済ませた。例の様に麺包と珈琲だけで朝の食事を別に座敷で済ませた良人は、戸が開けられないので電燈を点けた儘十種に近い新聞を読んで居る。其側へ行つて自分も二三の新聞を読んだ。欧州には今戦争と云ふ怖しい台風が吹いて居る。其れが東洋にも波及しようとして居る。自分は平生戦争を忌はしく思つて居る一人であるけれど、今度の戦争は之が最後の戦争となる程敵も味方も手疵を負つて、世界を震慄させ、目を覚させて、野蛮な武力の競争を永遠に廃絶する土台となる為に、一時出来るだけ大戦争の開かれることを望んで居る。今日の新聞にある電報では独逸の大軍が仏蘭西と白耳義の国境へ集中され、カイゼル自身が国境戦の声援に出馬したやうである。リエイジュの一敗位に懲りる様な独逸ではないから、英仏の連合軍を相手に激しい大会戦が行はれるであらう。新聞の予測のやうに仏軍が必ず強いとも限らないから、互に一勝一敗は免れまい、一度に運命の決することは無いであらう。

 良人も自分も仏蘭西贔負であるから、仏蘭西が戦争に対して上下とも整然たる秩序を保つて居ると云ふ電報を読んだ時は嬉しかつた。それから少時《しばらく》良人と巴里の今日此頃をいろいろ想像して話し合つた。オラル・ド・井ロンの製作室で、ロダン翁は平気でモデルを相手に下図《デッサン》を試みて居るであらう。詩人※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルアラン翁はサン・クルウの家で新詩集「高き焔」の
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