問題とされたことが、失礼ながら平塚さんたちの間違《まちがい》でなかったかと思います。花柳病の害毒から、啻《ただ》に家庭婦人と家庭男子とばかりでなく、一切の男女を保護せねばならない事は、文化生活の一条件として今更論ずるまでもないことですが、その実行に到っては別に適当な機会と適当な方法とがあります。平塚さんたちも早くそれを承知されていて、「しかしこれは今述べたような花柳病の一般的取締でなく、むしろその中のほんの一部分に限られています」と明言されているのですが、私は「ほんの一部分」である所のこの請願を以て余計なことだと考えます。花柳病の一部分的取締のために、強いてこれを遂行しようとすれば、前述のようにいろいろの矛盾が生じます。
 殊に私は、結婚については恋愛のみを主として考えたい。殺風景な花柳病などを問題としたく思いません。一概に臭い物に蓋《ふた》をせよと言うのでなく、臭い物は別に始末すれば宜ろしい。美くしい芸術品などの前ではそれを考えたくないと思うのです。こういえば詩人の空想だと嗤《わら》う人たちがあるかも知れませんが、芸術気質と共に科学気質をも尊重する私は、花柳病の取締は取締で別に出来るだけ厳正であることを望みますが、それを結婚と結び附けることには、私の芸術気質が反対します。健康診断書の有無に由って恋愛の破壊を強制されねばならないような極端な程度にまで何事をも法治国化したくありません。平塚さんたちは欧米の新しい法律をいくつも挙げて花柳病に関する結婚の制限を示されていますが、私たちの恋愛結婚の理想と矛盾しているものである限り、それらの先例が世界の法律に幾百あろうとも、私たちの生活を規制するものとしては到底採用の出来ないものだと思います。
 法律は生活の一部であって、しかもそれが存在の理由としては全体を生かすものでなければなりません。しかるに平塚さんたちの予想される法律は反対に全体を殺す恐れがあります。即ちその法律の一撃で私たちの恋愛は死なねばなりません。
 私たちが芸術思想に由って香味づけられたなつかしい生活を、生活の各部において要求しているのに対し、職業に就くには卒業証書、教育者となるには検定免状、俳優には鑑札、正倉院の拝観には高等官の資格証明書、病院へ行くには診療券、汽車、電車、乗合自動車に乗るには乗車券、買物には廉売券、そうして結婚には花柳病の診断書、こうまで事ごとにせちがらく物質化されねばならない生活を殺風景だと思います。
 今年の元旦の『大阪朝日』に笠原《かさはら》医学博士が前野良沢《まえのりょうたく》とゲエテとの事を書かれた美しい一文を読むと、良沢が明和八年四月四日に千住《せんじゅ》の|骨ヶ原《こつがはら》で杉田玄白《すぎたげんぱく》、中川淳庵《なかがわじゅんあん》と、婦人の死屍《しし》の解剖に立会い、その実験に由って、四年の後の安永三年に、日本で初めて系統的に記載された医書『解体新書』が良沢と玄白との苦心の結果、世の中に公にされた事を叙し、更に博士はそれと対照してワイマルのイルム川のほとりに流れ寄った美くしい少女の死屍を前にして、二人の男が大きな解剖刀を執って何か争っている。老人の方はストラスブルグの大学の解剖学教授ロオブスタイン博士であり、若い男の方はまだ当時医学生であった青年のゲエテである。白い鬚《ひげ》の目立つ、黒い上衣を著けた老人は、金髪の少女の死屍の解剖を頻《しき》りに若い男に勧めた。白い襟巻《えりまき》のようなものをぐるぐると首に巻き、空色の長い上衣を著て、半袴《はんばかま》を穿《は》いた、眼の非常に大きい男は、頭を振って「こんなに美しい少女の肉体を、たとい学術上どれだけの利益があるにせよ、支離滅裂にするのは、丁度美くしい宝石を砕くようなものだ」と頑固に抗弁していたが、老人も終《つい》には若い男の説を納《い》れて解剖刀を捨て、二人とも跪《ひざまず》いて少女の死屍に祈祷《きとう》を捧げたという光景を叙して、最後に博士が「美を尊重するゲエテの心持も、真実に対する敬虔《けいけん》な良沢の心持も、同じように心に受け入れることの出来る科学者は、世界中で一番幸福なものであろう」と結ばれたのを私は非常に嬉しく感じました。科学者のみならず、すべての文化民族の生活が円満に開展して行くには、こういう両様の心持が体験されなければなりません。私は新婦人協会を初め、我国の婦人運動の先駆者たちが、一生涯純粋な恋愛にも触発されず、高雅な芸術にも浸染されない欧米の不幸な女権主義の独身婦人や基督教婦人の偏狭な心持から出た言動に範を取って、最も自由でなければならない熱情の生活、人間創造の生活までを、国家化し、法律化し、科学化し、論理化し、形式化するような、粗野な行動に偏倚《へんい》されないことを祈ります。
 平塚さんたちは、その請願趣旨に附記して、これに反対の人たちは、参考のためにその理由を述べるようにと望まれています。それで私は以上の反対理由を順序もなく書き並べて見ました。私一人が反対したからといって、有力な人たちの後援される協会の勇しいスタアトには何の差支《さしつかえ》にもなるまいと思いますから、遠慮せずに書きました。(一九二〇年二月)
[#地より1字上げ](『太陽』一九二〇年二月)



底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年8月16日初版発行
   1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「女人創造」白水社
   1920(大正9)年5月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。 
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
2003年5月18日修正
青空文庫ファイル:
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