ります。
こういう巨額な寄附をしてこそ慈善行為も現に見る所のように、その効果を最も顕著に挙げることが出来ます。現代の慈善はかつて私が救世軍の慈善|鍋《なべ》を評した時にも述べたことですが――多くの労力を掛けて零細な金銭を集めるような迂闊《うかつ》な手段に由って為《な》されるのでなく、不当利得を常態として、民衆の労働価値の大部分を自家の私有財産に組み入れている大資本家階級から、今度のように必要に応じて、一挙して数百万|乃至《ないし》数千万円を醵出《きょしゅつ》する事でなければなりません。これに由って思うと、最も有効な慈善については婦人の無力であることが解り、併せて慈善行為がその無力な婦人に決して適当した任務でないことが解ります。しかし私はこれがために婦人の持っている優しい慈善心を抑制し、かつその慈善行為を廃棄せよというのではありません。(一九一八年八月)
[#地より1字上げ](『太陽』一九一八年九月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「心頭雑草」天佑社
1919(大正8)年1月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
青空文庫ファイル:
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