父も母も客も丁稚《でつち》も皆同じやうに店で食事をした。通る地車《だんじり》の数が多くなつて、砂糖水はもう間に合はないで、奉書包みを扇に載せてその世話人達に番頭は配つて、橋の上に立つて大きい目をした張飛だの、加藤清正だのの地車《だんじり》の彫物《ほりもの》を和歌山の客は珍しさうに見た。
『とても和歌《わか》祭にはかなひまへん。』
と父はその人等に云つて居る。街々の祭提灯に火が入《はい》るまでに私は三度程着物を着更へさせられた。行列の太鼓の音がほのかにすると家中の人が皆|欄干《てすり》の処《ところ》に集《あつま》る。この家が船であつたなら一方の重味で覆《くつがへ》るであらう。猿田彦《さるだひこ》が通り、美くしく化粧したお稚児が通り、馬に乗つた禰宜《ねぎ》が通り、神馬《しんめ》が通り、宮司の馬車が通り、勅使が通り、行列は終《しまひ》になつたが、神輿《みこし》はまだ大和橋を渡つたとか渡らぬとか群衆が云《いつ》て居る。黒い波のやうになつて道を通る人は皆南の方を向いて神輿《みこし》のお旅所《たびしよ》の方ヘ行《ゆ》くのである。浜の方からは神輿《みこし》の迎へに開運丸、住吉丸などと船の名を書いた旗を持つた若者が幾人も幾人も走《はし》[#ルビの「はし」はママ]しつて行《ゆ》く、四五町先へ神輿《みこし》が来た頃から危ながつて道端《みちはた》に居る人が皆店の上へ上《あが》つて来る。幾千の弓張《ゆみはり》提灯の上を神輿《みこし》が自然《ひとり》で動くやうに見えて四方に懸けた神鏡《しんきやう》がきら/\として通つた後《あと》二三十分で祭の街は死んだやうに静かになつて、海の風が藻《も》の香《か》を送る。



底本:「精神修養」
   1911(明治44)年8月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※底本の総ルビを、パラルビにあらためました。
※脱落が疑われる、『旦那様、ありがたう。御寮人様、ありがたう。』の後の改行を補いました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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