糖|水《みづ》を造るので家の中が忙しくなる。
『旦那様、ありがたう。御寮人《ごれうにん》様、ありがたう。』[#改行を挿入]
その世話人が四五人家の中へ入つて来て父母に挨拶をした。揃《そろひ》の浴衣《ゆかた》に白い縮《ちぢみ》の股引《ももひき》を穿《は》いて、何々浜と書いた大きい渋団扇《しぶうちは》で身体《からだ》をはたはたと叩いて居る姿が目に見える様である。白地の明石縮《あかしちぢみ》に着更《きか》へると、別家の娘が紅の絽繻珍《ろしゆちん》の帯を矢の字に結んでくれた。塗骨《ぬりぼね》の扇を差した外に桐の箱から糸房《いとぶさ》の附いた絹団扇《きぬうちは》を出して手に持たせてくれた。店へ行く廊下を通る時大きい銀の薄《すゝき》のかんざしの鈴が鳴つた。菊菱《きくびし》の紋を白く抜いた水色の麻の幕から日が通つて、金の屏風にきらきらと光つて居た。従兄《いとこ》と兄はその前へ置いた碁盤で五目並べをして居る。将棋盤の廻りには十人程の丁稚《でつち》が皆|集《あつま》つて居た。花毛氈の上であるから並んだその白足袋が美くしく見える。九谷焼の花瓶に射干《ひあふき》と白い夏菊《なつぎく》の花を投込《なげこみ》に差した。中から大きい虻《あぶ》が飛び出した。紅の毛氈を掛けた欄干《てすり》の傍へ座ると、青い紐を持つて来て手代が前の幕をかかげてくれた。向ひのおてるさんが待つて居たやうににこやかに目礼した。道の人通りが多いので常《つね》のやうに物を云つても聞《きこ》えさうではない。水色の透矢《すきや》の長い袂《たもと》と黒い髪が海から来る風で時々動くのが見えるだけであつた。氷屋が彼方此方《あつちこちら》で大きい声を出して客を呼んで居る中へ、屋台に吊つて太鼓を叩いて菓子|売《うり》が来た辻に留つて背の高い男と、それよりも少し年の上のやうな色の黒い女房《にようぼ》とが、声を揃へて流行《はやり》歌を一《ひと》くさり歌つた。どんどんとその後《あと》でまた太鼓を打つた。欄干《てすり》の前に置いた大きい床机《しやうぎ》の上で弁当を開く近在の人もある。和歌山の親類の客を迎へに停車場《ていしやば》へ行つて居た番頭が真先《まつさき》になつて七八台の車が着いた。絽《ろ》の紋附の着物を着た裏町の琴の師匠が来た。[#「。」は底本では脱落]和歌山の客は皆奥で湯に入つて居るらしい。杯盤や切《きり》ずしを盛つた皿が持つて来られて、
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング