児《こ》、
抱寝《だきね》して、其児《そのこ》に
初めて人間のマナを飲まする母、
はげしき※[#「執/れっか」、298−上−7]愛《ねつあい》の中に手を執《と》る
婚莚《こんえん》の夜《よ》の若き二人《ふたり》、
若葉に露の置く如《ごと》く額《ひたひ》に汗して、
桑を摘み、麻を織る里人《さとびと》、
共に何《なに》たる景福《けいふく》の人人《ひとびと》ぞ。
たとひ此《この》日、欧洲の戦場に立ちて、
鉄と火の前に、
大悪《だいあく》非道の犠牲とならん勇士も、
また無料宿泊所の壁に凭《よ》りて
明日《あす》の朝飯《あさはん》の代《しろ》を持たぬ無職者も、
ああ五月《ごぐわつ》、此《この》月に遇《あ》へることは
如何《いか》に力満ちたる実感の生《せい》ならまし。


    ロダン夫人の賜へる花束

とある一つの抽斗《ひきだし》を開きて、
旅の記念の絵葉書をまさぐれば、
その下より巴里《パリイ》の新聞に包みたる
色褪《いろあ》せし花束は現れぬ。
おお、ロダン先生の庭の薔薇《ばら》のいろいろ……
我等|二人《ふたり》はその日を如何《いか》で忘れん、
白髪《しらが》まじれる金髪の老|貴女《きぢよ》、
濶《ひろ》き梔花色《くちなしいろ》の上衣《うはぎ》を被《はお》りたる、
けだかくも優《やさ》しきロダン夫人は、
みづから庭に下《お》りて、
露おく中に摘みたまひ、
我をかき抱《いだ》きつつ是《こ》れを取らせ給《たま》ひき。

花束よ、尊《たふと》く、なつかしき花束よ、
其《その》日の幸ひは猶《なほ》我等が心に新しきを、
纔《わづか》に三年の時は
無残にも、汝《そなた》を
埃及《エヂプト》のミイラに巻ける
五千年|前《ぜん》の朽ちし布の
すさまじき茶褐色に等しからしむ。

われは良人《をつと》を呼びて、
曾《かつ》て其《その》日の帰路《きろ》、
夫人が我等を載せて送らせ給《たま》ひし
ロダン先生の馬車の上にて、
今|一人《ひとり》の友と三人《みたり》
感激の中に嗅《か》ぎ合ひし如《ごと》く、
額《ぬか》を寄せて嗅《か》がんとすれば、
花は臨終《いまは》の人の歎く如《ごと》く、
つと仄《ほの》かなる香《にほひ》を立てながら、
二人《ふたり》の手の上に
さながら焦げたる紙の如《ごと》く、
あはれ、悲し、
ほろほろと砕け散りぬ。

おお、われは斯《か》かる時、
必ず冷《ひや》やかにあり難
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