《こ》れのみ」と、
佐久間大尉の遺書を思ひて、
今更にこころ咽《むせ》ばるる。


    三等局集配人(押韻)

わたしは貧しき生れ、
小学を出て、今年十八。
田舎の局に雇はれ、
一日に五《ご》ヶ村《そん》を受持ち、
集配をして身は疲れ、

暮れて帰れば、母と子と
さびしい膳《ぜん》のさし向ひ、
蜆《しゞみ》の汁で、そそくさと
済ませば、何《なん》の話も無い。
たのしみは湯へ行《ゆ》くこと。

湯で聞けば、百姓の兄さ、
皆読んで来て善《よ》くする、
大衆文学の噂《うはさ》。
わたしは唯《た》だ知つてゐる、
その円本《ゑんほん》を配る重さ。

湯が両方の足に沁《し》む。
垢《あか》と土とで濁《にご》された
底でしばらく其《そ》れを揉《も》む。
ああ此《この》足が明日《あす》もまた
桑の間《あひだ》の路《みち》を踏む。

この月も二十日《はつか》になる。
すこしの楽《らく》も無い、
もう大きな雑誌が来る。
やりきれない、やりきれない、
休めば日給が引かれる。

小説家がうらやましい、
菊池|寛《くわん》も人なれ、
こんな稼業は知るまい。
わたしは人の端くれ、
一日八十銭の集配。


    壁

バビロン人の築きたる
雲間《くもま》の塔は笑ふべし、
それにまさりて呪《のろ》はしき
巨大の塔は此処《ここ》にあり。

千億の石を積み上げて、
横は世界を巻きて展《の》び、
劔《つるぎ》を植ゑし頂《いたゞき》は
空わたる日を遮《さへぎ》りぬ。

何《なに》する壁ぞ、その内に
今日《けふ》を劃《しき》りて、人のため、
ひろびろしたる明日《あす》の日の
目路《めぢ》に入《い》るをば防ぎたり。

壁の下《もと》には万年の
小暗《をぐら》き蔭《かげ》の重《かさ》なれば、
病むが如《ごと》くに青ざめて
人は力を失ひぬ。

曇りたる目の見難《みがた》さに
行《ゆ》く方《かた》知らず泣くもあり、
羊の如《ごと》く押し合ひて
血を流しつつ死ぬもあり。

ああ人皆よ、何《なに》ゆゑに
古代の壁を出《い》でざるや、
永久《とは》の苦痛に泣きながら
猶《なほ》その壁を頼めるや。

をりをり強き人ありて
怒《いか》りて鉄の槌《つち》を振り、
つれなき壁の一隅《ひとすみ》を
崩さんとして穿《うが》てども、

衆を協《あは》せし[#「協せし」は底本では「恊せし」]凡夫《ぼんぷ》等は
彼《か》れを捕《とら
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