た者がある。
「泥坊が嚔《くしやみ》をしたんですわ、」
大洋の底のやうな六時間の沈黙が破れて、
二人《ふたり》の緊張が笑ひに融《と》けた。
こんなに滑稽《こつけい》な偶然と見える必然が世界にある。
砂
川原《かはら》[#ルビの「かはら」は底本では「かははら」]の底の底の価《あたひ》なき
砂の身なれば人|採《と》らず、
風の吹く日は塵《ちり》となり
雨の降る日は泥となり、
人、牛、馬の踏むままに
圧《お》しひしがれて世にありぬ。
稀《まれ》に川原《かはら》のそこ、かしこ、
れんげ、たんぽぽ、月見草《つきみさう》、
ひるがほ、野菊、白百合《しろゆり》の
むらむらと咲く日もあれど、
流れて寄れる種なれば
やがて流れて跡も無し。
怖ろしい兄弟
ここの家《いへ》の名前人《なまへにん》は
総領の甚六がなつてゐる。
欲ばかり勝《か》つて
思ひやりの欠けてゐる兄だ。
不意に、隣の家《うち》へ押しかけて、
庇《かば》ひ手のない老人《としより》の
半身不随の亭主に、
「きさまの持つてゐる
目ぼしい地所や家蔵《いへくら》を寄越《よこ》せ。
おらは不断おめえに恩を掛けてゐる。
おらが居ねえもんなら、
おめえの財産なんか
遠《とほ》の昔に
近所から分《わ》け取《ど》りにされて居たんだ。
その恩返《おんかへ》しをしろ」と云《い》つた。
なんぼよいよいでも、
隣の爺《おやぢ》には、性根《しやうね》がある。
あるだけの智慧をしぼつて
甚六の言ひ掛《がか》りを拒《こば》んだ。
押問答が長引いて、
二人《ふたり》の声が段段と荒くなつた。
文句に詰つた甚六が
得意な最後の手を出して、
拳《こぶし》を振上げ相《さう》になつた時、
大勢の甚六の兄弟が
がやがやと寄つて来た。
「腰が弱《よ》ゑいなあ、兄貴、」
「脅《おど》しが足りねえなあ、兄貴、」
「もつと相手をいぢめねえ、」
「なぜ、いきなり刄物《はもの》を突き附《つ》けねえんだ、」
「文句なんか要《い》らねえ、腕づくだ、腕づくだ、」
こんなことを口口《くちぐち》に云《い》つて、
兄を罵《のゝし》る兄弟ばかりである、
兄を励ます兄弟ばかりである。
ほんとに兄を思ふ心から、
なぜ無法な言ひ掛《がか》りなんかしたんだと
兄の最初の発言を
咎《とが》める兄弟とては一人《ひとり》も居なかつた。
おお、怖《おそ》ろしい此処《ここ》の家《い
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