日、
これさへ色と彩《あや》ありて、
与らぬをばさびしやと、
羨しやと、泣かれたり。
見るべからざる物を見て、
寂しく時を送りぬと、
君見て云はん後もなし、
虚無の世界のことなれば。
半分以上
私の子供達、さやうなら。
お父様のところへ行きます、
いろんな話をしませう。
あなた達もさう思ふだらう。
けれどそれは詩だよ、
言偏《ごんべん》の「し」だよ。
何があるものですか未来に、
そんな世界がねえ。
私はよく知つてゐた。
あれからの私は寂しかつた。
でもそればかりではなかつた、
私は詩を描いてゐたからね、
生活のおよそ半分を、
詩で塗つて来ましたよ。
この期に臨んでも、
私は抱いてゐます詩を、
詩を半分以上。
それでは行きますよ。
宣しく云ひませうね、
あなた達のお父様に。
[#改ページ]
昭和十二年
藤七の硝子
永久に若い天女の、
降りて来たのが藤七の工場。
作られて行く硝子の高坏《たかつき》の
美くしさに、うつとりと、
手を触れた指の跡。
うす紅《べに》の指紋を御覧なさい。
上からでも、下からでも、
もともと硝子なのですから。
指紋が残つて居ればとて、
不思議なぞありません。
硝子のまだ半液体である時、
其れが火より熱かつたとて、
天女の指は焼けません。
人の身体《からだ》の中の心臓の、
かうした場合などにも、
触れて見ない手ではありません。
細きベツド
我が閨《ねや》の傍へのベツド。
内なるは君にあらずて、
藤子こそ眠りたりけれ。
この事実、いつよりとなく
覚えたり、夢裏《むり》のたましひ。
或る夜半の悪夢のうちに、
救ひをば我れの求めて、
声を上げ、君を呼びてき。
その寝ねて在《い》ますベツドは、
遥かにも離れてありき。
今もなほ、目にこそ見ゆれ。
君が寝て在ませるベツド、
細長く縁深かりき、
夢にわれ箱と悟らず、
ましてこれ柩なりとは。
空しき客席
観客となり君が居る、
舞台であれば独白の、
長い台詞《せりふ》は云へませう。
どんな身振りも出来ませう。
重き病の悲みも、
訴へるよな、云ふやうな、
時と所を持たざれば、
感じぬことと変りなし。
たつた一句の捨台詞
わが引込みに云ふことも
無駄な舞台の上に描く、
黒い小さい疑問符を。
強き友
海を渡らん我が友へ、
別れを述べに行きし時、
客室《サロン》の椅子をいと※[#「執/れっか」、10巻−483−上−1]き、
涙に我れの濡らしてき。
老いたる寡婦の悲みが、
別離の情に誘はれし、
不覚の態と恥ぢたりき、
友の客室の我が涙。
死ぬは期《ご》したることなれば、
重い病になりしとて、
強き心の我が友を、
殊更思ふこともなし。
世のもてなしの礼なさが、
著《あら》はになりて見えし時、
病に障りあらすなと、
惑へる子等を我れは見ぬ。
一年《ひととせ》まへの真夏の日、
旅立つ友に流したる、
涙のこころやうやくに、
悟るを得たり、わが友よ。
蜜柑の木
朝の光が外にゐて、
さて鎧戸と、窓掛と、
その内側の白い蚊帳、
かうした中に生えてゐる、
蜜柑の若木五六本。
それが私に見えるのだ。
いまだ開かぬ瞼ごし、
まぼろしでなく夢でなく、
昨日の朝も今朝も見る。
香《かぐ》の木の実が生《な》るでなし、
はなたちばなが咲くでなし、
蜜柑の木より榊とも、
樒《しきみ》の木とも云ふ方が、
かなつたやうな若い木で、
穂すすきめいた弓なりの、
四尺ばかりの五六本。
初めの朝に蜜柑だと、
決めて眺めた緑の木。
熊野の浦の浜畑の、
白い沙地と見えるのは、
まさしく蚊帳の麻の目よ。
私はこれを楽しんで、
見てゐながらも思ひます。
かうした蚊帳の中にある、
蜜柑畑のほの白い、
沙子《すなご》の中で人しれず、
生命《いのち》終つて横たはる、
朝が私にあることを。
すすき
穂の薄をば手に提げて、
盆の仏の帰る絵を、
身の毛のよだつ思ひして、
見たは幼い日のわたし。
そのすすきより細い手も、
それより白い骨もまた、
恐しい気のせずなりて、
十三日の待たるるよ。
巴里の街の下に見し、
カタコンブなる鈍色《にびいろ》の、
人骨などはよそのこと、
あの絵に描いた白い人。
[#改ページ]
昭和十三年
二十六日
霜月の末の落日、
常磐木の十《と》もと二十《はた》もと、
その他《た》には三四の紅葉、
中目黒、驪山《りざん》の荘よ、
広縁に畳敷かれて、
古柱、紫檀めきたり。
この入日、平家の船を
西海に照らせる如く、
我れを射て、いといと赤し
心をば云ふにあらねど、
風なくて肩の寒かり、
君逝きし二十六日。
丹羽夫人に
伊弉諾《いざなぎ》と伊弉冉《いざなみ》の神、
導きて、うら若草の、
妹と背の君の入るてふ、
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