晩秋

S《エス》の字がたの二人《ふたり》椅子《いす》、
背中あはせのいやな椅子、
これにあなたと掛けたなら、
この気に入つた和蘭陀《オランダ》が
唯だの一夜《ひとよ》で厭になろ、
その思出もうとましい。
ギヤルソン外[#「外」はママ]にいい部屋は無いの。
[#地より8字上げ](アムステルダムの一夜)

[#改ページ]

 大正四年


  温室

広き庭の片隅に
物古りたる温室あり、
そこ、かしこ、硝子《ガラス》に亀裂《ひび》入り、
塵と蜘蛛の糸に埋れぬ。

棚の上の鉢の花は皆
何をも分かず枯れたれど、
一鉢の麝香撫子のみ
はかなげに花|小《ちさ》く咲きぬ。

去年《こぞ》までは花皆が
おのが香と温気とに
呼吸《いき》ぐるしきまでに酔ひつゝ、
額《ぬか》重く汗ばみしを、

今、温室は荒れたり、
何処《いづこ》よりか入りけん、
憎げなる虻一つ
昼の光に唸るのみ。


  〔無題〕

今夜|巴里《パリー》は泣いて居る。
シヤン・ゼリゼエの植込も、
セエヌの水もしつとりと
青い狭霧に街灯の
涙を垂れて泣いて居る。


  〔無題〕

群をはなれて※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ランダに
君ただひとり立つなかれ、
今宵は空の月さへも
人の踊を覗けるに。

いざ君、室内《うち》の卓に凭り、
ワルツの曲を聞きながら、
夜《よ》ひと夜《よ》取れよ、花の香《か》と、
香料の香と、さかづきと、

女の燃ゆるまなざしと、
きやしやに艶《いろ》めく肉づきと、
軽き笑まひと、足取と、
さらに渦巻く愛と美と。
[#改ページ]

 大正五年


  〔無題〕

せよ、怖い顔を、
せよ、みんなでせよ。
そしておまへ達の宝である
唯一の劒を大事にせよ。

せよ、賢相《かしこさう》な顔を、
せよ、みんなでせよ。
そしておまへ達の護符である
てんかこくかを口にせよ。
おまへ達は決して笑はない。
おまへ達の望んで居る
日独同盟の成る日が来るとも、
どうして神聖サムラヒ族の顔が崩れよう。

おまへ達は科学主義の甲《よろひ》を着て、
血のシンボルの旗の下《もと》に、
おまへ達の祖先である
南洋食人族の遺訓を行はうとする。

世界人類の愛に憧れる
われわれ無力の馬鹿者どもは
みんなおまへ達に殺されねばなるまい、
おまへ達が初めて笑ふ日のために。

併し……


  春より夏へ

八重の桜の盛りより
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