しづかふせやのうち迄も
  香あまねき匂ひこそ
   君が心のそれならめ

昔の恋を思ひねの
 夢のまくらに香りゆき
  たまも消ゆべくわび人の
   なげく涙を我は見じ

されば深山の楓にか
 千入にそむるくれなゐの
  もゆる思ひのある君と
   頼める我の違へりや

きみがかごとぞおかしさよ
 秋のもみぢと我ならじ
  立田の姫の御心に
   淡きと濃きの恨あり

うつろひやすき人の世に
 ときめく木々ぞうたてかる
  松の千年はたのまねど
   ゆるがぬ色のなつかしや

ミユーズの神のすべ給ふ
 岩間の清水わくほとり
  枝をかはして君と我
   松の大樹とならんかな

夏の山行く旅人に
 涼しき影をつくるべく
  いろうるはしき乙女子が
   恋のさはりをなげく時

うき世のうさ蔽ふべく
 若き詩人の木のもとに
  恋のうたはむ夕あらば
   清きしらべをともに合さん
[#改ページ]

 明治三十三年


  わかれ

君埋れ木の時を得て
 花もみもあるかの君に
  とつぎますなるよろこびを
   ことほぐことば我れもてど

別れの今のかなしさに
 おつる涙をいかにせむ
  心弱きを今さらに
   あやしむ勿れ我が友よ

雲のよそなる西の京
 祇園あたりの高楼の
  おばしま近く彼の君と
   春を惜まん夕あらば

忘れ草生ふ住吉の
 松原つゞき茅渟の浦
  つらはなれたる雁金の
   音になくあたり忍べ君

あれかさのみ多き世に
 人の心のつらき時
  同じ思ひに泣く友の
   はるかにありと知れよかし

松の葉ごしの夕月に
 君が片ほの青きかな
  かのあづまやのともしびは
   我がまたゝきに似たらんか

ふたりのたてる袖がきに
 絶えず散り来る白梅の
  再びさかむその春に
   我は逢ふとも思ほえず

忘るゝなかれこの夕
 忘れ給ふな此夕
  鴨の流れは清くとも
   さがの桜はいみじかるとも


  紅情紫根
   (人の『山蓼』の詩にそへて友におくれる)

ほそ筆もつ子
え堪へんや
友の終《つひ》の身
調《てう》を問ふな
長き詩みじかき歌

ある日ある時
ねたしと見し
そのゑすがた
手筥に今
後《のち》も秘めむ

理想の友
姉と謂ひて
うなじまくに
このかひな
あまりかよわし

とかば髪
四尺はあらむ
胸により
わななくたけなが
あゝ裏くれな
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