体に悪いから一月に一度は来るつもりだ。別の処へ行くよりはお前の処へ来ることに決めて置かうとお云ひになつてね、それから毎月一度だけは欠かさず来て居てくれたんですよ。あの人だつてちつとも困つて居ませんでしたし、私だつて女郎の四五人も下に伴れるだけの者になつて居ましたしね。それが妙なことでこんなことになりましたのよ、やはりあの社の或方のお母様の方がね、いい人だから一遍行つて逢つて見ろつてあの人が云ふもんですから、私は検査の帰りに一寸行きますとね、人を馬鹿にした方でね、女郎が真実のことを云ふ時があるかつて、そんなことを云ふんですよ。私だつて人間ですから嘘を云ふこともありますけれど、Yさんには嘘を云ひませんよと云つて帰つて来たんですよ。Yさんがその晩来ましたから、口惜しくつて口惜しくつて仕様がないと云ひますとね、随分あれで疑ひ深いのですからね、嘘がないのなら逃げて見ろと云ふのでせう。ええ逃げますともつて逃げたんですよ。』
『年期はどれ程あるんですか。』
 と私は問ひました。
『ええ、丁度二年なんですよ。』
『Y君とあなたとは何時までも一緒になつて居られる、厭になんかならないと信じ合つて居るのですか。』
『私はもうそれはもとより、あの人だつてまあ別れると云ふやうな気にはなれないやうですね。私はあの書いた物がお金にならないからつて、いい加減に諦めを附けて、伴れて帰らうと思つたがどうしても居所が知れなんだとか何とか云つて一度帰つていらつしやい、私は一人で働いてあなたの運の向いて来るのを待つて居ますよと云ふのですがね、そんなことは出来ません、どうしても私には出来ないよと云ふのですよ。私は内職で十円位は取れるんですよ。あの人が此処のところで十五円位も取つて下さることが出来たらそれでいいんですがね。』
『あなたの身体をかたにして借りたお金の期限が明日きりだと云ふぢやありませんか、それはどうなさるの。』
 と私は云ひました。
『それは利子を払つてやればいいでせう。』
 女はそんなことは気にも留めて居ないと云ふ風でした。Yさんはそれがあるので死と云ふ言葉をよく使ふのでせうが、随分違つて居るものだと私は思ひました。
『そんな人に身体が遣れるもんなら、私は××へでも帰れるわけですよ。石にかじり附いてもあの商売は二度としようと思ひません。』
『内職つて何だね。』
 と良人は聞きました。
『襯衣や腹巻を縫ふんですよ。襯衣は三銭にしかなりませんし、腹巻は六厘から一銭までなんですよ。それがね、一寸|一切《ひとき》り仕事が切れたものですからそんな風にお米も買へないんですよ。』
『感心だね。よく針が持てるね。』
『私は編物なんかでも八本針位は使ひます。さく子さん済まないね、あんなに贅沢をして居たのになんか、二時や三時まで起きて居るとYさんは云ふのですよ。醤油を一合買つたんですけれど、煮るやうな物は何も買へませんから黴《か》びてしまひましたよ。三升買つた糠で漬物を拵へてそればかり食べてますの。』
『Y君に仕事があるといいがね。』
『昨日ね、なんかの外交員が入ると書いてあつたとかで其処へ行きますとね、金を一円出さないと何処と云ふことは教へられないと云ふんですつて。一円が十銭もないと云つてYさんは帰つて来たんですつて。』
『そんなのに引つ掛つちやあいけませんよ。一円が取りたいからそんな仕掛をしてあるんですよ。東京と云ふ処にはいろんな人が居ますからね。』
『へええ。』
 女は舌の先を円く巻いて一寸出しました。
 翌日の夕方に良人が机の上で肱を突きながら、青桐の根の処を眺めて、
『Yが自分の甥か南君かだつたら憤つてやるがね。』
 こんなことを云つてました時、ひよつくら玄関へ来た人はYさんでした。
 良人は二階で暫くYさんと話してから微笑をして降りて来ました。
『Y君はね、昨夜あの女を出して置いてから或家へ行つてしまつたのだとさ。Y君が学生時代に居た家ださうだ。女には手紙をよく書いて置いて来たさうだよ。』
 昨夜あの女が寿司を取つて来て食べさせても、どうしても喉につまると云つてろくろく食べなかつた、あの時分にYさんは女の家を出たのだらうかなどと私は思ひました。
[#地から3字上げ](をはり)



底本:「我等」我等発行所
   1914(大正3)年6月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※『』で挟まれた部分は、折り返し以降全て1字下げで組まれていますが、個別のレイアウト注記は略しました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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