丹ならまだある筈だと思ひまして、女中に持つて来させましたが、
『これは少し酒精気《アルコオルけ》の多い雲丹です。去年××から貰つて来たのてすよ。』
 と良人がSさんに云ふのを聞いて、私はまたYさんのことを思ひ出しました。それは良人が九州の或団体から招待を受けて行つた時に、××新聞社の社員として接待の役をしてくれたのがYさんだつたのださうですから。
 中の三人の子が床に入りましてから、私はまだ眠りさうにない末の子を抱いて二階へ行きました。
『つひ、長居をしてしまつて。』
 と云つて、Sさんは椅子を離れました。
『まあ、いいぢやありませんか。』
『さうですかな。』
『まだ七時頃だらう。』
『ええ。』
『しい。』
 Sさんは末の子が鶏を見て云ふことを云つて子供をからかひながらまた座りました。門の戸を二寸、三寸、また三寸と云ふ風に人の開けた音が聞えました。暫くすると
『母さん、女の人が来ましたよ。』
 長男がかう云つて、私の処へ原稿紙で上包みを拵へた書簡を持つて来ました。良人と私の名が並べて書かれてあるのですが、文字に見覚えがないと思つて裏面を見るとこれはYさんのでした。私は抱いた子を下へ置いて封を解きました。
 問題の女をさし出します。
 この冒頭に私の心は平静を失ひまして、あとの文字はよくも頭に入らないのでした。今はこの女の生命も自分の生命もあなた方御夫婦に縋つて取り留めて頂くより方法がないなどと書いてあつたやうでした。殊に死と云ふ字を多く女のことを云ふ中に使つてあつたやうです。
『Yさんがその芸者をおよこしになつたのですよ。逢つてやつて下さいつて。』
 良人は手紙を見ずにくるくると巻いてしまひました。
『逢つておやりよ。』
『何処で。』
『階下《した》でさ。』
『もう皆お床を敷いてますわ。』
『書斎でさ。』
『どう云ふ人でせう。』
『また伺ひます。』
 と云つて、Sさんは立つてしまひました。私には乳の上に二所とか刺青をしてあると云ふその西国の芸者と差向ひで話をすることを唯の事をするとは思へないのでした。
『あなたも逢つてやつて下さいな。』
『さようなら。』
 Sさんが梯子段を降りて行きました。良人も私も玄関へ送つて行つてますと、きやつきやつと笑ひながら二人の女の子が障子の向うまで来て居ました。
『寝て居ましたのがね、起きてお送りをしに来て居るのですよ。』
『裸体で飛び
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