巻を縫ふんですよ。襯衣は三銭にしかなりませんし、腹巻は六厘から一銭までなんですよ。それがね、一寸|一切《ひとき》り仕事が切れたものですからそんな風にお米も買へないんですよ。』
『感心だね。よく針が持てるね。』
『私は編物なんかでも八本針位は使ひます。さく子さん済まないね、あんなに贅沢をして居たのになんか、二時や三時まで起きて居るとYさんは云ふのですよ。醤油を一合買つたんですけれど、煮るやうな物は何も買へませんから黴《か》びてしまひましたよ。三升買つた糠で漬物を拵へてそればかり食べてますの。』
『Y君に仕事があるといいがね。』
『昨日ね、なんかの外交員が入ると書いてあつたとかで其処へ行きますとね、金を一円出さないと何処と云ふことは教へられないと云ふんですつて。一円が十銭もないと云つてYさんは帰つて来たんですつて。』
『そんなのに引つ掛つちやあいけませんよ。一円が取りたいからそんな仕掛をしてあるんですよ。東京と云ふ処にはいろんな人が居ますからね。』
『へええ。』
女は舌の先を円く巻いて一寸出しました。
翌日の夕方に良人が机の上で肱を突きながら、青桐の根の処を眺めて、
『Yが自分の甥か南君かだつたら憤つてやるがね。』
こんなことを云つてました時、ひよつくら玄関へ来た人はYさんでした。
良人は二階で暫くYさんと話してから微笑をして降りて来ました。
『Y君はね、昨夜あの女を出して置いてから或家へ行つてしまつたのだとさ。Y君が学生時代に居た家ださうだ。女には手紙をよく書いて置いて来たさうだよ。』
昨夜あの女が寿司を取つて来て食べさせても、どうしても喉につまると云つてろくろく食べなかつた、あの時分にYさんは女の家を出たのだらうかなどと私は思ひました。
[#地から3字上げ](をはり)
底本:「我等」我等発行所
1914(大正3)年6月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※『』で挟まれた部分は、折り返し以降全て1字下げで組まれていますが、個別のレイアウト注記は略しました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で
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