ませなんだ。親子の愛情と云ふものも斯う云ふ場合には未だ芽を萌《ふ》かない。考へて見ると変なものである。
 隣の室で良人の弟と昴《すばる》発行所の和貝さんとが、死んだ児の柩に成るべく音を立てまいとして釘を打つて居る。良人が「一目見て置いて遣らないか。これまでに無い美くしい児だ」と云つたけれど、わたしは見る気がしなかつた。産後の痛みの劇しいのと疲労とで、死んだ子供の上などを考へて居る余裕は無かつた。

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その母の命に代はる児なれども器の如く木の箱に入る。
虚無を生む、死を生む、斯かる大事をも夢と現の境にて聞く。
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 実際其場合のわたしは、わが児の死んで生れたと云ふ事を鉢や茶椀が落ちて欠けた程の事にしか思つて居なかつた。桐ヶ谷の火葬場まで送つて来て呉れた弟が、その子煩悩な心から「可愛い児でしたのに惜しい事をしました」と云つて目を潤ませた時、初めてわたしも目が潤んだ。其れは死んだ児の為に泣いたのではない、弟の其子煩悩な美くしい涙に思はず貰泣をしたのであつた。

 漸く産後の痛みが治つたので、うとうとと眠らうとして見たが、目を瞑《つぶ》ると種種の厭
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